映画音楽には、映像から切り離されたとき、初めて見える顔がある。
1963年、クインシー・ジョーンズはアルバム「Plays Hip Hits」で「Exodus(栄光への脱出)」をカバーした。Ernest Goldが1960年の映画のために書いたテーマ曲——それがクインシーのジャズ・オーケストラの手に渡ったとき、まったく別の輝きを放ち始めた。
🎬 映画「栄光への脱出」——その重さと背景
まず、この旋律が生まれた映画について触れておかなければならない。
1960年公開の「Exodus(栄光への脱出)」は、イスラエル建国を叙事詩的に描いたアメリカ映画だ。監督はウィーン出身のユダヤ人オットー・プレミンジャー、主演はポール・ニューマン。ホロコーストを生き延びたヨーロッパのユダヤ人たちがパレスチナへの移民を目指し、イギリス軍の包囲の中で自由への道を切り開いていく——その壮大な物語だ。
ポール・ニューマンが演じる主人公アリ・ベン・カナンは、軍事組織ハガナーのメンバーで、キプロスの難民収容所からユダヤ人たちを「エクソダス」号に乗せてパレスチナへ脱出させようとする。エヴァ・マリー・セイントが演じるアメリカ人看護婦キティ・フレモンは、当初ユダヤ人問題に冷淡だったが、難民の少女との出会いで心を動かされ、この脱出計画に関わっていく。
船に乗り込んだ移民たちとイギリス軍の緊迫した駆け引き、そしてイスラエル建国への険しい道のり——この映画が描くのは、単なる歴史の記録ではなく、人間が「故郷」と「自由」のために命をかける物語だ。
🎼 Ernest Gold——ウィーンから逃れた作曲家の旋律
Ernest Goldは1921年、ウィーン生まれの作曲家だ。
6歳でピアノとヴァイオリンを、8歳で作曲を始め、13歳でオペラを作曲した天才少年だった。しかし1938年、オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、父方の祖父がユダヤ人だったGoldは家族とともにアメリカへ亡命した。
この経歴を知ると、「Exodus」という曲の持つ重みが変わる。ナチズムから逃れたユダヤ系の作曲家が、ホロコーストを生き延びたユダヤ人たちの「脱出」を描いた映画のテーマを書いた——これは単なる仕事ではなく、Goldの個人的な歴史との深い共鳴だった。
「Exodus」のメロディーは、ただ美しいだけでなく「重力」を持っている。上昇と下降を繰り返しながら、どこか遠い地平線を目指すような旋律——その中に、故郷を失い、新しい「約束の地」を求める人々の感情が込められている。
Goldはこの映画音楽で第33回アカデミー賞ドラマ・コメディ映画音楽賞と第3回グラミー賞映画・テレビサウンドトラック部門を受賞した。インストゥルメンタル版はFerrante & TeicherによってBillboard1961年年間ランキング2位を記録する大ヒットとなった。
🎷 クインシー・ジョーンズという魔法使い
1963年、クインシー・ジョーンズはMercury Recordsから「Plays Hip Hits」をリリースした。
このアルバムは、当時のポップ・ヒット曲やスタンダード曲をジャズ・オーケストラで演奏するという企画盤だった。クインシーのアレンジの天才が最も輝く形式——既存の名曲に、全く新しい命を吹き込む。
「Exodus」もその一曲として収録された。
クインシーのアレンジが施された「Exodus」は、映画のテーマ曲としての「荘厳さ」を保ちながら、ジャズの「流動性」と「即興的な呼吸」を加えている。弦楽器が映画版の叙情性を受け継ぎ、ブラスセクションが曲に推進力を与え、リズムセクションがジャズのグルーヴを生み出す。
そしてこの演奏の中核にいるのが、テナーサックスのZoot Simsだ。
Zoot Sims(ズート・シムズ、1925-1985)は、スウィングからバップへの過渡期を生きたテナーサックス奏者で、「Four Brothers」の一人として知られる。そのサウンドは温かく、流れるようで、決して過剰にならない——Goldのメロディーを歌いながら、しかし決してそれに従属しない、絶妙なバランスを保っている。
Zootのテナーサックスが「Exodus」のメロディーを奏でるとき、それはポール・ニューマンが演じた主人公の「静かな意志」を思わせる。声高に叫ぶのではなく、ただ前に進む——その確信がサックスの音に宿っている。
⭐ 映画音楽がジャズになるとき——Exodusの永続する力
クインシー・ジョーンズ版「Exodus」が示していること——それは、偉大なメロディーは「文脈」を変えることでより深く輝く、という事実だ。
Ernest Goldが映画のために書いたとき、その旋律はイスラエル建国の物語と結びついていた。クインシーがジャズ・オーケストラで演奏したとき、その旋律は「人類の普遍的な希望」という別の次元に引き上げられた。
「約束の地を目指す」というテーマは、特定の民族や歴史の物語であると同時に、すべての人間が持つ「より良い場所へ向かいたい」という普遍的な衝動でもある。クインシーのジャズ・アレンジは、その普遍性を最大限に引き出した。
ウィーンからアメリカへ亡命したErnest Goldが書いたメロディーを、シカゴ生まれのクインシー・ジョーンズがジャズで解釈する——この「翻訳」の過程に、音楽が持つ最も美しい力が宿っている。言語も文化も歴史も超えて、一つのメロディーが届き続ける力だ。🎷
____
🎹
〜 soul jazzの第一人者:音楽プロデューサー 〜
クインシー・ジョーンズ——この名前は、20世紀のポップ音楽の歴史において、特別な場所を占めている。
1933年、イリノイ州シカゴ生まれ。10歳でワシントン州に移り、そこでソウルミュージックの創始者レイ・チャールズと出会い、生涯の親交を結んだ。この出会いが、クインシーの音楽の根幹を作った——「魂の音楽」への深い理解が、その後のすべてのキャリアを支えることになる。
バークリー音楽院を卒業後、トランペット奏者としてライオネル・ハンプトン楽団に参加。しかしすぐにアレンジャーとしての才能が頭角を現し、カウント・ベイシー、デューク・エリントンら巨人たちの音楽を手がけるようになった。1957年にはパリへ渡り、ナディア・ブーランジェとオリヴィエ・メシアンに作曲を学ぶ——ジャズとクラシックの両方の土台を持つ稀有な音楽家として、クインシーは独自の高みへと登っていった。
1962年の「Big Band Bossa Nova」に収録された「Soul Bossa Nova」は彼の代名詞的な一曲となった。1981年、日本の大島渚監督の映画「愛のコリーダ」をタイトルに借りたアルバム「The Dude」に収録された「愛のコリーダ」も、ポップチャートでヒットを記録した——映画への深いリスペクトがクインシーの音楽には常にあった。
そして1978年、映画「ウィズ」の現場でマイケル・ジャクソンと出会う。「誰か僕に合うプロデューサーはいないかな」というマイケルに、クインシーは「僕じゃ駄目かな?」と返した——この会話が音楽史を変えた。「Off the Wall」「Thriller」「Bad」という三部作。「Thriller」はギネス認定の史上最も売れたアルバムとなり、1985年のチャリティー曲「We Are the World」のプロデュースも手がけた。
クインシー・ジョーンズは「プロデューサー」という言葉の意味を変えた人物だ。🎷
https://toshiyu03.blog/my-music-story%e3%80%80/
🍋🟩
広告
🏠 **ホームページ、今日から始めてみませんか?**
お店の紹介も、自分の作品の発信も。
**グーペなら、好きなデザインを選んで入力するだけ!** 初心者でも簡単にホームページを作成できます。
予約受付・独自ドメイン・SEO・SNS連携にも対応。
まずは15日間無料でお試し。あなたのビジネスや活動を、ホームページという新しい形にしてみませんか?
👉 **グーペでホームページを作る**
https://goope.jp/?utm_source=a8&utm_medium=banner&utm_content=019-1&utm_campaign=affiliate
https://link.amazon/B07zfqmc5
https://www.amazon.com.au/dp/B0GSN24BK7?ref_=kfw_samples_getbook_reader&dplnkId=53e825cf-f605-4056-beaf-93ac44eb582e#
https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js?client=ca-pub-3450252385793781 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});