みんなの思い出の音楽

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🇨🇦 第2章|「最後の舞踏会」のあとで——The Bandの解散、確執、そして5人全員が旅立つまで 〜|Rock of AgesからThe Last Waltzへ——The Bandが輝き、別れた1970年代

 

 

 

 

 

 

第1章の終わりで、The Bandは「The Weight」の余韻のなかにいた。ウッドストックの地下室で生まれた音楽が、1960年代の終わりに、ロックの地図を静かに塗り替えたのだった。

 

 

けれど、頂点に立った音楽家たちを待っているのは、祝福だけではない。次の作品への期待、終わりのないツアー、そして「あの音をもう一度」という、静かで容赦のない要求。The Bandの後半の物語は、その重さとどう向き合ったかの記録でもある。

 

 

第2章では、1970年の「Stage Fright」から、1976年の解散コンサート「The Last Waltz」、そして2025年1月にガース・ハドソンがこの世を去り、オリジナル・メンバー全員が旅立つまで——「その後」の長い時間を辿ってみたい。華やかな別れの舞台の裏にあった軋みも、そこから生まれた意外な再生も、同じ一つの物語として。

 

 

 

 

🌅 「Stage Fright」と「Cahoots」——成功の後の迷走

 

 

1970年の夏、The Bandは3枚目のアルバム「Stage Fright」を発表した。全米5位。数字だけを見れば、成功の延長線上にある作品だ。けれど聴いてみると、「Music from Big Pink」の素朴な光や、「The Band」の歴史の手触りとは、どこか空気が違うことに気づく。音は相変わらず温かいのに、その温かさの奥に、疲れのようなものが沈んでいるのだ。

 

 

タイトル曲「Stage Fright」を歌うのは、ベースのリック・ダンコである。ステージに立つことへの怖れを歌ったこの曲で、彼の声は少し震えている。その震えが演技ではないように聴こえるところに、この曲の凄みがある。「The Shape I'm In」では、リチャード・マニュエルが、追い詰められた男の独白を、裂けるような声で歌う。私はこの曲を聴くたびに、技巧ではなく「声そのものが証言になる」ということを思い知らされる。「Daniel and the Sacred Harp」は、何かと引き換えに魂を差し出してしまう男の寓話のようにも読める。名声や成功は、無償では手に入らない。そんな感覚を、彼らはまだ若いうちから、物語の形で歌っていた。

 

 

この時期のThe Bandが置かれていた状況を考えると、その空気にも納得がいく。1969年8月には、あのウッドストック・フェスティバルのステージに立ち、「ウッドストック」という地名は、時代の象徴として世界中に知られるようになった。ボブ・ディランと地下室で音楽を作っていた5人は、いつのまにか「伝説の側の人間」として見られる立場にいた。彼らは、静かな暮らしと名声との間で、居場所を探していたのだと思う。

 

 

1971年の秋には、4枚目の「Cahoots」が出る。「Stage Fright」と同じく、批評の反応は温度が低く、「最初の2枚ほどの輝きがない」という声が多かった。けれど、この作品にも聴きどころはちゃんとある。ディランが書いた「When I Paint My Masterpiece」。リチャード・マニュエルとヴァン・モリソンが声を重ねる「4% Pantomime」。そして、ニューオーリンズの名編曲家アラン・トゥーサンがホーンを書いた「Life Is a Carnival」。この曲の陽気で粘りのあるブラスが、ロックバンドだったThe Bandに、新しい色彩を与えた。

 

 

「Cahoots」の曲を聴いていて気づくのは、ロビー・ロバートソンの書く曲の語り口が、少しずつ内向きになっていくことだ。「Big Pink」や「The Band」で見せた、アメリカの歴史や民話を借りて語る大きな物語は、ここでは身の回りの小さな情景や、旅の途中の感情へと縮んでいる。それは創作の衰えというより、世界の見え方が変わったことの反映にも思える。名声のなかで、人は「語る側」であることの重さを、否応なく知ることになる。そしてその重さは、誰よりも作詞作曲の中心にいたロビーの肩に、最も強くかかっていたはずだ。

 

 

これを単なる「迷走」と呼ぶのは簡単だ。しかし私には、「伝説になってしまったバンドが、次の呼吸の仕方を探している時間」に聴こえる。そして皮肉なことに、その探し物の途中でトゥーサンと出会ったことが、次の章——彼らの最高のライブ盤——を開くことになる。スランプの中にこそ、次の扉の取っ手がある。そう思わせてくれるのが、この2枚のアルバムだ。

 

 

 

 

🎪 「Rock of Ages」——ライブの頂点とアレンジの革新

 

 

1971年の暮れ、12月28日から31日までの4夜、The Bandはニューヨークのアカデミー・オブ・ミュージックのステージに立った。その記録は、翌1972年の8月に、2枚組のライブ盤「Rock of Ages」として世に出る。スタジオ盤の「迷い」が嘘のように、ここには、自分たちの音楽に確信を持った5人がいる。

 

 

この夜の主役の一人は、ホーンの編曲を担当したアラン・トゥーサンである。「Cahoots」の「Life Is a Carnival」で組んだ経験が、この大がかりな挑戦につながった。ニューオーリンズの粋が、ウッドストックの森の音楽と出会う。その発想自体が、すでに一つの音楽的な事件だった。しかも、舞台裏には小さな騒動があった。トゥーサンが用意するはずだったホーンの譜面が旅の途中で失われ(盗難だったとも伝えられる)、公演の直前に、ウッドストックの小屋で記憶を頼りに書き直す羽目になったのだ。書き直された譜面は元の調とは違っていて、バンドの方が曲を新しい調で覚え直さなければならなかったという。そんな慌ただしい舞台裏から、あのしなやかで精緻なブラスが生まれたことを思うと、音楽の現場の底力に頭が下がる。

 

 

アルバムの聴きどころは数え切れない。R&Bの名曲「Baby Don't You Do It」を、The Bandなりに弾けさせた「Don't Do It」。ガース・ハドソンの即興が、まるで大聖堂の空間のように鳴り響く「The Genetic Method」から「Chest Fever」への流れ。「Life Is a Carnival」は、スタジオ版よりずっと生き生きとして、ホーンの合いの手に乗って曲そのものが踊り出す。ホーンが入ることで、「The Weight」や「King Harvest」といった曲の輪郭が、より明るく、より厚く浮かび上がるのも、嬉しい驚きだった。

 

 

リーヴォン・ヘルムのドラムも、ここでは別の顔を見せる。スタジオ盤では曲の物語に寄り添う控えめな語り手だった彼が、ホーンの厚みの中で、ぐっと前に出てくる。リックのベースはうねり、リチャードのピアノは歌い、ロビーのギターは短く鋭く切り込む。5人それぞれの役割が、舞台の上では一層はっきりと見える。私はこのアルバムを、The Bandの五重奏の作法を知るための、最良の教科書だと感じている。

 

 

そして年が明けた1972年1月1日の未明、古い友人のボブ・ディランが飛び入りし、最後の4曲を一緒に演奏した。1966年の世界ツアーで、ブーイングの嵐をともに耐えた相手が、今度は温かな拍手の中に立っている。ただ、このディランの出演は、契約上の事情から、当時の「Rock of Ages」には収録されなかった。それが日の目を見たのは、2013年の拡大版ボックスセットまで待たなければならない。

 

 

私が「Rock of Ages」に惹かれるのは、The Bandの音楽が、実は「部屋の音」だったと教えてくれるからだ。スタジオ盤では静かな会話のように聴こえた5人のアンサンブルが、ホールの空気の中では、驚くほど躍動する。ライブ盤がときに「最高の記録」になりうるのは、バンドが自分たちの輪郭を、観客の拍手の中で確かめ直せるからだろう。迷っていた時期のThe Bandは、ここで一度、自分たちの足場を取り戻した。

 

 

 

 

🎷 「Moondog Matinee」——ルーツへの再帰とカバー集

 

 

1973年の秋、The Bandは「Moondog Matinee」を発表した。全曲がカバー。しかもその選曲は、彼らが少年時代にラジオから浴びるように聴いた、ロックンロールとR&Bの名曲たちだ。タイトルの「Moondog」は、1950年代に「ロックンロール」という言葉を広めたラジオDJ、アラン・フリードの異名に由来する。

 

 

収録曲を並べるだけで、彼らの「耳の履歴書」になる。クラレンス・"フロッグマン"・ヘンリーの「Ain't Got No Home」。ジュニア・パーカーやエルヴィスで知られる「Mystery Train」。サム・クックの「A Change Is Gonna Come」。チャック・ベリーの「Promised Land」。新曲が思うように書けなかった時期に取り出した「逃げ場」というより、自分たちの出発点を確かめる儀式のように聴こえる。

 

 

ここには、少し複雑な事情もあった。ロビー・ロバートソンの新曲が十分に揃っていなかったとも言われる。創作の泉が一時的に細くなったとき、バンドは「自分たちは何を愛して音楽を始めたのか」に立ち返った。それを「後退」とは呼びたくない。むしろ、ルーツの音楽を5人の声とアンサンブルで解き直した、誠実なカバー集だと思う。原曲の持つ祈りや軽やかさに、彼らの経験が静かに重なって、聴き慣れた名曲が少し違う表情を見せる。

 

 

ラジオから流れてきた音楽が、少年たちの人生を決める。アーカンソーの綿花畑でも、カナダの街でも、少年たちは同じようにラジオに耳を傾けていた。国境を越えて、同じ電波を浴びていた少年たちが、のちに一つのバンドを作る。「Moondog Matinee」は、The Bandという共同体の、いちばん最初の記憶に捧げられたアルバムなのだと思う。

 

 

1974年は、彼らにとって再び「ディランの年」になった。年明けに発表されたディランのアルバム「Planet Waves」はThe Bandとの共同作業で、続いて、ディランとThe Bandは8年ぶりに北米ツアーで再会する。1966年にはブーイングを浴びたあの関係が、今度は巨大な歓声に包まれた。その記録が、2枚組のライブ盤「Before the Flood」である。同じ二つの名前が、時代を隔てて、まったく違う空気の中で並んでいる。その事実だけで、ロックの歴史がどれだけ遠くまで来たかが分かる。

 

 

「Before the Flood」を聴くと、1966年のライブ録音とは、同じ曲でも音の向きが違うことに気づく。かつてはブーイングの中で、観客に背を向けるようにして鳴らされた轟音が、ここでは観客と向き合うために鳴らされている。ディランもThe Bandも、あの時代を通り抜けて、少し丸くなり、そして強くなった。その変化が、「Like a Rolling Stone」のような曲に、まったく別の景色を与えている。

 

 

ツアーを終えたあと、バンドはカリフォルニアに拠点を築く。マリブに、自分たちのスタジオ「Shangri-La」を持ったのだ。ウッドストックの森から、太平洋を望む西海岸へ。この移動は、ただの引っ越しではなく、バンドの空気そのものの変化でもあった。そこで録音される次のアルバムが、彼らの最後の本格的な輝きになる。

 

 

 

 

💔 「Northern Lights – Southern Cross」——最後の輝き

 

 

1975年の6月、長年ブートレグで語り継がれてきた「The Basement Tapes」が、ディランとThe Bandの名義で、ついに公式に発売された。第1章で触れたビッグ・ピンクの地下室の音が、8年を経て、正式な作品になったのだ。物語が静かに一つ閉じる、不思議な巡り合わせだった。

 

 

そしてその年の11月、The Bandは「Northern Lights – Southern Cross」を発表する。「Cahoots」から数えて、4年ぶりの新曲集だ。録音は自分たちのスタジオShangri-Laで、最新の24トラック機材が使われた。この機材のおかげで、ガース・ハドソンは楽器を何層にも重ねることができた。制作にはこれまでのどのアルバムよりも時間をかけたと伝えられ、自分たちのペースで作ることのできる環境が、作品の質に表れている。

 

 

聴けば、少し疲れて、けれど老成した5人の姿が見えてくる。「It Makes No Difference」は、リック・ダンコの胸が裂けるような歌声で語られる別れの歌で、ロビーのギターとガースのサックスが、二つの嗚咽のように絡み合う。私がこのアルバムを「最後の輝き」と呼びたいのは、この曲のほとんど崩れ落ちそうな美しさのためだ。「Ophelia」は、リーヴォン・ヘルムの代表曲になった。軽やかなホーンの上で語られる、どこか哀愁を含んだ物語で、ヒットチャートにも入っている。

 

 

このアルバムでは、ロビーのギターも以前とは違う表情を見せる。派手に弾きまくるのではなく、歌の隙間に、ほんの数音を置いていく。その数音が、曲の感情を決定的に変える。「It Makes No Difference」のソロは、そのいちばんよい例だと思う。ギターは泣かない。泣かないことで、かえって泣いているように聴こえる。リックの歌声が悲しみを剥き出しにするとき、ロビーのギターは、それを静かに受け止める役を引き受けている。

 

 

そして、アルバムの核にあるのが「Acadian Driftwood」だ。1755年、フランス系のアカディア人たちが、イギリスによって故郷から追放された。ロビーはこれまで、アメリカ南部の物語を見事に語ってきたが、ここでは、自分の祖国カナダの悲劇に目を向ける。リチャード、リーヴォン、リックの3人が代わる代わる歌い継ぐ構成が、離散した人々の声そのもののようだ。「Forbidden Fruit」のように、バンドを蝕んでいた依存の問題に正面から触れた曲があることも、このアルバムが「楽しいだけの作品」ではないことを教えてくれる。

 

 

タイトルの「Northern Lights」は北の空のオーロラ、「Southern Cross」は南の空の十字星だ。カナダ出身の4人と、アメリカ南部出身の1人。この5人の姿を、北と南の空にたとえたようにも聴こえる——これは私の個人的な解釈にすぎないけれど、そう思って聴くと、アルバム全体が一つの星図のように見えてくる。「The Band」以来の傑作と評されたこの作品の後で、ロビーはすでに、ある決断を胸にしていた。

 

 

 

 

🕯️ 「The Last Waltz」——1976年、伝説の解散コンサート

 

 

1976年の秋、ロビー・ロバートソンは、バンドのツアー生活に区切りをつけることを決めた。ホークス時代から数えて約20年、ほとんど絶え間なく続いてきたロードの日々。ロビーは後に映画の中で、ロードがどれほど多くの偉大な音楽家たち——ハンク・ウィリアムズ、バディ・ホリー、オーティス・レディング、ジャニス、ジミ、エルヴィス——を奪ってきたかを語っている。このまま走り続ければ、自分たちもそうなる。そんな危機感があったのだろう。

 

 

もっとも、ロビーが終わらせようとしたのは「ツアー」であって、「バンド」そのものではなかったと言われる。ステージを降りて、スタジオで曲を書き続けるという道も、彼の頭にはあったはずだ。けれど、20年近い歳月を共にした5人にとって、「ツアーをやめる」ことは、「バンドであること」の根っこを抜くことと、ほとんど同じ意味だった。

 

 

とはいえ、全員が同じ気持ちだったわけではない。特にリーヴォン・ヘルムにとって、この「最後の舞台」は、後年まで苦い記憶として残ったと伝えられる。この溝が、後の二人の関係に長い影を落とすことになる。祝祭の裏側に、避けがたい軋みがあった。それを知った上で聴く「The Last Waltz」は、一層切実に響く。

 

 

1976年11月25日、感謝祭の夜。サンフランシスコのウィンターランド・ボールルーム。興行師のビル・グラハムは、5,000人の観客に七面鳥のディナーを振る舞い、その後、バークレー・プロムナード・オーケストラの演奏でダンスが始まった。会場にはサンフランシスコ・オペラの舞台装置が飾られ、シャンデリアまで吊られていた。「ワルツ」という名の通り、これは葬式ではなく舞踏会だった。別れを、悲しみとしてではなく祝祭として迎えたい——そんな意思表示だったのだと思う。

 

 

夜の9時ごろ、The Bandは「Up on Cripple Creek」で幕を開け、アラン・トゥーサンが編曲したホーンとともに11曲を演奏した。その後、ゲストが次々と舞台に現れる。ロニー・ホーキンス、ドクター・ジョン、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ニール・ダイアモンド、ヴァン・モリソン、マディ・ウォーターズ、ポール・バターフィールド、リンゴ・スター、ロニー・ウッド、エリック・クラプトン、そしてボブ・ディラン。アメリカ音楽の流れが、一つの夜に集まったようなラインナップだった。

 

 

ゲストの顔ぶれにも、物語がある。ロニー・ホーキンスは、5人がまだ「ホークス」だった修行時代の師匠だ。マディ・ウォーターズは、シカゴ・ブルースの王者として、The Bandが敬意を払ってきた音楽の源流を体現する存在。ヴァン・モリソンは「Cahoots」で声を重ねた旧友。そしてディランは、すべての始まりだった。つまりこの夜は、単なる豪華な顔合わせではなく、The Bandという物語の登場人物たちが、もう一度全員そろった同窓会でもあった。

 

 

ジョニ・ミッチェルは、同じ年に発表した「Hejira」から「Coyote」を歌い、ニール・ヤングの「Helpless」では、舞台の袖から静かにハーモニーを添えた。ディランは「Forever Young」を歌い、最後にはほぼ全員が舞台に並んで、「I Shall Be Released」を合唱した。リチャード・マニュエルの裏声で「Music from Big Pink」に刻まれたあの曲が、別れの賛歌になる。

 

 

映画に収められた演奏の中で、私がとりわけ心を奪われるのは、「The Night They Drove Old Dixie Down」の場面だ。リーヴォンの声が、南北戦争の敗者の側から語られる歴史の物語を、まるで目撃者のように歌う。第1章で触れた「声が歴史の証言になる」という感覚が、解散の夜にも、まったく変わらずに生きている。7年を経ても、声は同じ重さで、同じ場所に立っているのだ。

 

 

私はこの夜の映像を観るたびに、5人の表情に目が行ってしまう。笑っているようでもあり、どこか遠くを見つめているようでもある。大きな祝祭の真ん中で、彼らだけがほんの少し、静かだ。

 

 

 

 

🎬 マーティン・スコセッシの映画——「The Last Waltz」の記録

 

 

1978年、あの夜の記録は映画「The Last Waltz」になった。監督はマーティン・スコセッシ。ロビーが、「Mean Streets」での音楽の使い方に惹かれ、自ら選んだ監督だった。スコセッシは、コンサートを35ミリフィルムで、ラースロー・コヴァックスやヴィルモス・ジグモンドら7人の撮影監督を配して撮影した。製作時の資料によれば、音楽ドキュメンタリーとして初めて35ミリで撮られた作品だとされる。映画の冒頭には、「この映画は大音量で上映されるべし」という一行が掲げられる。

 

 

この映画が優れているのは、コンサートの記録に、いくつかの「別の時間」を織り込んだことだ。スコセッシ自身が聞き手を務めた、メンバーへのインタビュー。リーヴォンが少年時代と旅回りの興行の思い出を語り、ロビーが長いロード生活の疲れを語る。また、ステイプル・シンガーズが歌う「The Weight」や、エミルー・ハリスが歌う「Evangeline」の場面は、コンサートの後に、舞台のセットを使って別撮りされたものだ。コンサートの熱と、スタジオの静けさ。その対比が、映画に独特の呼吸を与えている。

 

 

ニール・ヤングの「Helpless」には、有名な逸話がある。完成間近の試写で、ヤングの鼻から、コカインの塊が垂れ下がっているのが見つかったのだ。ヤングのマネージャーは、この曲を使わせないとまで言い出し、製作陣は特殊効果の会社に頼んで、その塊を消す映像処理を新たに考案した。画面の裏で、ジョニ・ミッチェルが舞台袖から静かにハーモニーを添えていることを思うと、この場面は、1970年代のロックの「光と影」を一枚に閉じ込めたようにも見える。

 

 

もちろん、この映画は「完全な記録」ではない。編集の間、ロビーとスコセッシは同じ家で暮らしていたと伝えられ、他のメンバーたちは、そのことが映画の中のロビーの存在感を大きくしすぎたと感じた。リーヴォンも、そのひとりだった。映画は、一人の語り手の視点で編まれた「美しい証言」であって、5人全員の証言ではない。その偏りを知った上で観ると、ロビーの語りの静けさにも、リーヴォンの苦い沈黙にも、別の意味が見えてくる。

 

 

この映画が、The Bandの記憶を決定づけたことも、見逃せない。後の世代の多くは、アルバムよりも先に、この映画で彼らに出会う。「最後の舞踏会」という物語はあまりに美しく編まれているため、彼らの音楽の全体像を、少し「別れの物語」の色に染めてしまう。それは功績であり、同時に、小さな偏りでもある。映画で好きになったなら、ぜひ「Music from Big Pink」や「The Band」、そして「Northern Lights – Southern Cross」に戻ってきてほしい。そこには、別れの前の、まだ何も終わっていない5人がいる。

 

 

1978年には3枚組のサウンドトラックも発売され、この映画は、史上最高のコンサート映画の一つとして、今も語り継がれている。あなたは「The Last Waltz」を観たとき、どの出演者の場面がいちばん心に残りましたか?

 

 

 

 

🔄 解散後の歩み——それぞれの道

 

 

「The Last Waltz」は「最後の舞踏会」だったが、バンドの法的な幕引きは、実はもう少し慌ただしかった。契約を消化するために、翌1977年に「Islands」が発表される。寄せ集めと評されることの多いこの作品は、映画の栄光とは別の場所で、静かに終わりを告げた小さな足跡のようにも見える。

 

 

そこから、5人はそれぞれの道を歩み始める。ロビーは映画音楽へ。リーヴォンは俳優として「Coal Miner's Daughter」(1980年)や「The Right Stuff」(1983年)に出演し、ガース・ハドソンは、ヴァン・モリソンやレナード・コーエン、エミルー・ハリスといった音楽家たちのセッションに、その名人芸を貸した。リック・ダンコは、ソロ作品に加えて、ヨナス・フィエルド、エリック・アンダーセンとのトリオでも活動した。それぞれが自分の場所で、音楽との距離を測り直していた時期だったのだと思う。

 

 

解散から再結成までの7年近くは、The Bandのメンバーにとって、「バンドであること」を手放した時間だったと言える。ひとりで立つことの難しさと自由を、全員がそれぞれの形で味わった。そのことが、1983年の再結成を、単なる懐古ではなく、「もう一度、別の理由で集まる」という意味のあるものにした。ロビーのいないThe Bandが、かつてと同じ音になるはずはない。けれど、同じ音にならないことを引き受けた上で、彼らは再び旅に出たのだ。

 

 

リーヴォンは1993年の自伝「This Wheel's on Fire」で、ロビーとの関係やThe Last Waltzへの複雑な思いを率直に語った。第1章で触れたリチャード・マニュエルの苦悩も、解散後に深まっていく。1983年、The Bandはロビーを欠いた形で再結成された。小さなクラブから始まったツアーは日本にも及び、東京でのライブ録音も残されている。しかし1986年、リチャード・マニュエルがツアーの最中に命を絶つ。それでもバンドは、リーヴォン、リック、ガースを中心に歩みを止めず、1990年代に3枚のアルバム——「Jericho」「High on the Hog」「Jubilation」——を残した。1994年には、ロックの殿堂入りも果たしている。

 

 

そして1999年12月10日、リック・ダンコが、ウッドストックの自宅で眠るように亡くなった。再結成後のThe Bandの歴史は、ここで静かに幕を閉じる。リーヴォンは、このときすでに、もう一つの試練——喉の癌との闘い——の渦中にあった。次の段落が、その物語である。

 

 

 

 

🍁 Levon Helmの復活——「Dirt Farmer」と晩年の輝き

 

 

1998年、リーヴォン・ヘルムは喉の癌と診断された。歌うことが仕事であり、人生そのものだった男にとって、それは「声」を奪われる宣告に等しかった。手術と放射線治療を経て、声はほとんど失われた。1991年には自宅が火事で焼け、医療費は家計を圧迫し、彼は経済的にも追い詰められていた。

 

 

けれどヘルムは、音楽を手放さなかった。2004年1月、ウッドストックの自宅の納屋を改装したスタジオで、彼は「Midnight Ramble」と名付けた小さなライブを始める。名前の由来は、少年時代に見た旅回りの興行だ。ミュージシャンや友人たちが集まり、納屋が小さな音楽堂になる。それは収入のためでもあり、音楽仲間との繋がりを保つ場所でもあった。その空気の中で、声は少しずつ戻ってきた。

 

 

2007年、ヘルムは25年ぶりのソロ・スタジオ・アルバム「Dirt Farmer」を発表する。タイトルは、アーカンソーの綿花農家の家に生まれた彼自身のルーツを思わせる言葉だ。アパラチアのフォークやカントリー、ブルースを基調にしたこのアルバムは、家族や仲間とともに録音され、かすれながらも深みを増した声が、驚くほど自然に響いた。この作品はグラミー賞の最優秀トラディショナル・フォーク・アルバムを受賞する。続く「Electric Dirt」(2009年)は、新設された最優秀アメリカーナ・アルバム部門の第1回受賞作になり、ナッシュビルのライマン・オーディトリアムでの公演を収めた「Ramble at the Ryman」(2011年)も、同じ部門でグラミー賞を受けた。晩年の5年ほどの間に、合わせて3つのグラミー賞。それは、「声を失った」はずの男が、最も力強い評価を受けた時期だった。

 

 

「Dirt Farmer」を聴いて私が驚いたのは、声が「戻った」ことではなく、声が「変わった」ことだった。若い頃の、あの伸びやかな南部の声ではない。一度壊れたものが、傷を抱えたまま新しい形になった声だ。傷のある声は、ときに完璧な声よりも多くのことを語る。ヘルムは、失ったものを取り戻したのではなく、失った後に残ったものを、音楽にしたのだと思う。

 

 

2011年6月のMidnight Rambleには、メイヴィス・ステイプルズが加わった。35年前のウィンターランドで、ステイプル・シンガーズが「The Weight」を歌ったことを思うと、この共演は、時間の輪が静かに閉じていく瞬間のように感じられる。その夜の録音は、2022年に「Carry Me Home」として世に出ている。

 

 

2012年4月19日、リーヴォン・ヘルムは71歳で亡くなった。喉の癌だった。通夜は彼の納屋で行われ、およそ2,000人が集まった。亡骸はウッドストックの墓地に、リック・ダンコの隣に葬られた。

 

 

「The Last Waltz」に苦い思いを抱えたヘルムは、解散の後、もう一度「バンド」を、自分の納屋に作った。そう思うと、晩年のMidnight Rambleは、The Bandという共同体が、形を変えて続いていた証のようにも見える。声を失っても、音楽は失われなかった——それが、リーヴォン・ヘルムという人の、一番大きな遺言だと思う。

 

 

 

🌿 Robbie Robertsonの遺産——ソロと映画音楽

 

 

ロビー・ロバートソンは、「The Last Waltz」を最後に、二度とツアーには出なかった。しかし、音楽から離れたわけではない。「The Last Waltz」で結ばれたスコセッシとの縁が、彼を映画音楽の世界へと導く。「Raging Bull」「The King of Comedy」「The Color of Money」「Casino」「Gangs of New York」「The Departed」「Shutter Island」「The Wolf of Wall Street」「Silence」「The Irishman」——スコセッシ作品の音楽を長年にわたって支え、2023年の「Killers of the Flower Moon」が、14作目の映画音楽プロジェクトになった。

 

 

一方で、ソロ・アーティストとしても大切な仕事を残している。1987年の初のソロ・アルバム「Robbie Robertson」は、ダニエル・ラノワと共同でプロデュースされ、U2、ピーター・ガブリエル、そしてリック・ダンコやガース・ハドソンまで参加した。冒頭の「Fallen Angel」は、前年に亡くなったリチャード・マニュエルに捧げられた曲で、ガブリエルの声が、幽霊のようにそっと寄り添う。「Somewhere Down the Crazy River」は、少年時代にホークスに加わって初めて訪れたミシシッピ・デルタの記憶から生まれたと言われる。このアルバムは、1989年のジュノー賞で年間最優秀アルバムに選ばれた。

 

 

後年のソロ作品には、母方のモホーク族の血筋が色濃く反映された。彼の中には、いつも「カナダの少年」と「アメリカの物語の語り手」が同居していた。その二重性こそが、The Bandの音楽の秘密だったのだと思う。

 

 

映画音楽の仕事は、実はThe Bandの美学と地続きだったと思う。The Bandの曲はいつも、短い映画のように、場面と人物と空気を描いていた。「The Night They Drove Old Dixie Down」の戦場も、「Acadian Driftwood」の追放の道も、聴く者の頭の中に映像が立ち上がる。語りすぎず、余白を残し、聴き手に想像させる。その作法が、スコセッシの映像の中で、台詞のない場面の感情を支える音楽になったのだろう。ロビーは、ステージを降りたあとも、物語の語り手であり続けた。

 

 

ここで、ロビーとリーヴォンの確執について、少し考えておきたい。ロビーは多くの曲を書き、映画を通じてThe Bandの物語を世に広めた。一方でリーヴォンたちは、あの音を作ったのは5人の声と手だという思いを抱いていた。どちらかが正しく、どちらかが間違っていたわけではないだろう。優れた曲と、それを命あるものにする演奏。そのどちらが欠けても、The Bandの音楽は存在しなかったからだ。

 

 

2016年には自伝「Testimony」を出版し、2019年には、彼とThe Bandの歩みを描いたドキュメンタリー「Once Were Brothers」が公開された。自分の視点から語り直すことへの、静かな執念を感じる仕事だ。この題名——かつて兄弟だった——は、リーヴォンとの関係の痛みだけでなく、5人全員が互いに抱いていた、家族のような距離感を、ひとことで言い表している。

 

 

2023年8月9日、ロビー・ロバートソンはロサンゼルスで、長い闘病の末に80歳でこの世を去った。スコセッシは、彼を最も親しい友人の一人として、そして自分の人生と仕事の中の変わらない存在として追悼した。ジョニ・ミッチェルも、彼を同じカナダ出身の、大切な共同制作者として偲んだ。ジャンルや国境を越えて、これだけ多くの人に愛された音楽家だったのだと、改めて思う。

 

 

 

 

⭐ The Bandが残したもの——アメリカ音楽の永遠の地図

 

 

2025年1月21日、ガース・ハドソンが、ウッドストックの介護施設で、眠るように亡くなった。87歳。The Bandの最後のオリジナル・メンバーだった。彼がホークスに加わったのは、5人の中でいちばん最後だった。クラシックの訓練を受けた彼は、加入の条件として、オルガンの購入と、他のメンバーに音楽のレッスンをする代わりに毎週10ドルを上乗せしてもらうことを求めたという。5人の中で最年長の彼が、「The Weight」のあの空気感も、「Chest Fever」の荘厳なオルガンも、すべての背後でそっと色彩を整えていた。

 

 

ガースの死で、The Bandのオリジナル5人は、すべて世を去った。リチャード・マニュエル(1986年)。リック・ダンコ(1999年)。リーヴォン・ヘルム(2012年)。ロビー・ロバートソン(2023年)。そして、ガース・ハドソン(2025年)。

 

 

けれど、彼らの音楽は、今も何度でも「生き返る」。ロックの殿堂入りは1994年。ガースは、カナダ音楽殿堂やグラミー賞の生涯功労賞、カナダ勲章も受けている。何より、「アメリカーナ」と呼ばれる音楽の流れ——ルーツ音楽の語り口を、ロックの感性で更新する流れ——の、いちばん深い源流の一つが、あの地下室の5人であったことは間違いない。リーヴォン・ヘルムが、新設された「最優秀アメリカーナ・アルバム」の第1回グラミー賞を受賞したことは、その事実の象徴のように思える。

 

 

The Bandが残した最大の贈り物は、「バンドとは、声と手の共同体である」という実感だったと思う。誰かが主役ではなく、誰かが伴奏でもない。5人が互いの音を聴き、譲り合い、ときにはぶつかりながら、一つの曲を「みんなで」運んでいく。それが、「The Weight」の、あの重荷を分け合う歌の姿と、そのまま重なる。

 

 

もし、これからThe Bandを聴き始めるなら、まずは「The Weight」を。次に「The Night They Drove Old Dixie Down」を。そして「It Makes No Difference」を。この3曲で、彼らの3つの顔——共同体、歴史、哀しみ——が分かる。さらに深く入りたい人には、ライブ盤の「Rock of Ages」と、映画「The Last Waltz」をすすめたい。そこには、スタジオ盤では見えなかった、5人の呼吸がある。

 

 

もう一つ付け加えるなら、The Bandは「時代に逆らうことで、時代を超えた」バンドだった。サイケデリックの華やかさに背を向け、地下室で古い歌を解き直した彼らは、流行の寿命から自由だった。「The Weight」が、半世紀以上経った今も新鮮に聴こえるのは、あの曲が最初から「今」を目指していなかったからだと思う。時間の経過で古びるのは、時間に向けて作られた音楽だけだ。

 

 

私にとってThe Bandの物語は、「別れ方」の物語でもある。解散の夜は、祝祭だった。けれど、その後の長い時間には、確執も、病も、喪失もあった。それでも5人の音楽は、一人ひとりの死のあとにも、変わらずに鳴っている。あなたにとっての「The Band」の一曲は、何でしょうか。

 

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1950年代の終わりにロニー・ホーキンスのバンドとして集まった5人は、ディランとの旅を経て、ウッドストックの地下室で「Big Pink」を生み、2枚のアルバムで1960年代の音楽地図を書き換えた。そして1970年代、成功の重さに揺れ、迷い、それでも「Rock of Ages」で輝き、「Northern Lights – Southern Cross」で最後の光を放ち、「The Last Waltz」で舞踏会のように別れた。

 

 

その後の40年あまり、彼らは確執と病と喪失の中を、それぞれの歩幅で歩いた。2025年、最後の一人が旅立ったとき、あの地下室の5人は、ようやく全員が音楽の中に戻っていったのだと思う。

 

 

「Take a load off, Fanny」——重荷を降ろして、その荷物を俺に乗せてくれ。あの歌のコーラスが、今日もどこかで鳴っている。それが、The Bandという共同体が、今もここにいる証だ。🍁

 

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