2006年、アイルランドの新聞がある記事を報じた。
U2が音楽出版会社の一部をオランダへ移転したという内容だった。理由は明確だった。アイルランド政府がそれまでのアーティスト向け税制優遇を縮小したことで、U2のロイヤリティ収入に対する税負担が大幅に増加する見通しとなった。オランダでは音楽著作権収入にほとんど税金がかからない。U2はその制度を利用した。
この報道に対するアイルランド国内の反応は、厳しいものだった。
「アフリカの貧困に声を上げながら、自国の税収には貢献しないのか」——これが批判の核心だった。アイルランドの政治家からも、開発援助団体からも、批判の声が上がった。
💰 節税問題という批判——「それは知的に厳密な立場ではない」
この問題に対するBonoの返答は、いくつかの段階を経て行われた。
最初の反応はアイリッシュ・タイムズ紙へのインタビューで、2009年に語られた。「俺たちは何百万ドルもの税金を払っている。刺さったのは、批判の内容ではなく、活動家としての俺の仕事に対する偽善の告発だった」。
その後、ガーディアン紙のティム・アダムス記者が直接尋ねた。「アイルランド政府の支出について政府に説明責任を求めようとしながら、アイルランドの国庫への支払いを回避するために多大な努力をするのは、偽善ではないですか?」
Bonoの回答は長く、論争的だった。「アイルランド経済の中心には常に税制競争力という哲学があることを理解しなければ、それは知的に厳密な立場ではない。税制競争力がアイルランドを貧困から救い出した。クランキーな左派にとっては非常に腹立たしいことだとわかる。でも税制競争力こそがアイルランドが浮かび続けてきた理由だ」。
批評家たちはこの返答を批判した。アイルランド国民の大部分には高額な税負担がかかっているのに、最も裕福な層だけが節税の専門家を使って回避できる——その不公平を指摘する声は、Bonoの論理を受け入れなかった。
Bonoはこの問題で、自分の最も弱い点をさらすことになった。「他者に対してより多くの貢献を求める人物が、自身は合法的とはいえ最小限の貢献に留める」という構造。これが「偽善」という言葉を引き寄せ続けた。
彼はこれについて、明快な解決策を持っていなかった。2017年のパラダイスペーパーズ報道でも、Bonoの名前が投資関連で登場した。批判は繰り返された。
ただ一つだけ確かなことがある。Bonoがアフリカの貧困について語るとき、そこには本物の感情がある。エチオピアの砂漠で過ごした6週間の記憶は、節税戦略とは全く別の場所にある。両方が同一人物の中に存在している——そのことの居心地の悪さを、Bono自身が誰よりも感じているはずだ。
🕶️ サングラスというアーマー——緑内障という秘密
2014年、BBCの「グレアム・ノートン・ショー」で、司会者がサングラスについてからかった。「あなたはサングラスを見つけてから、もう手放せなくなりましたよね。外したことはあるんですか?」
Bonoの返答は、意外なものだった。
「これは人々に説明するいい機会だ。俺は20年間、緑内障を患っている」
会場に驚きが走った。Bonoはこう続けた。「治療をしっかり受けているから大丈夫だ。でも今この話を聞いたあなたは、もう頭から離れなくなる。『かわいそうな盲目のBono』ってね」と笑いを添えながら。
ローリング・ストーン誌でも、「光に対してとても敏感な目を持っている」と語っている。
緑内障は眼圧の上昇によって視神経が損傷する病気で、光過敏症(羞明)を引き起こす。特にBonoが患っているとされる「ぶどう膜炎性緑内障」は非常にまれなタイプで、強い光への感度が高まる。
これは20年以上前から始まっていた症状だ。つまりZoo TVのThe Flyというキャラクターが巨大なサングラスをかけ始めた時期と、ほぼ重なる。
サングラスはアーマーだと、Bonoは語ったことがある。Zoo TVの時代、それはメディア批判という文脈で「偽のキャラクターを作ることで本物の自分を守る」という意味だった。しかし同時に、あのサングラスは医療的な必要性でもあった。
ロックスターのイメージとしてのサングラス。眼の病気を抱えた人間としてのサングラス。その両方が、同じガラスの奥に存在していた。
🎙️ 「俺は偽善者か?」——自問を続けた男の正直さ
Bonoが最も興味深い人間である理由の一つは、自分への批判を無視しないことだ。
節税問題についての批判を受け続けながら、彼はアフリカへの働きかけをやめなかった。サングラスを外すように言われながら、外せない理由を正直に話した。「世界を変えようとしているポップスターは滑稽だ」という視線に対して、「そうかもしれない、でもやる」と続けた。
自伝『Surrender』(2022年)の中で、Bonoは自分の矛盾について珍しく率直に向き合っている。「俺は世界で最も有名な人物の一人であることと、匿名性を愛しているという事実の間で、緊張を感じ続けている」。
「俺は外向的な人間と思われている。でも内側は全く違う」——これはステージとプライベートの分裂だけではなく、「世界に向けて発信する人間」と「一人でいることを愛する人間」という、より根本的な矛盾だ。
さらにこう書いている。「俺の人生で最も重要なことは、何十年も前から変わっていない。Aliとの関係。家族。友人。音楽。そしてシーダーウッド・ロードという場所が俺に与えたもの」。
この言葉は、すべての批判と矛盾を通り抜けた先にある、変わらないものだ。
🍀 それでもアイルランドへ帰る理由——シーダーウッド・ロードの記憶
第1章で触れたように、2014年のアルバム『Songs of Innocence』には「Cedarwood Road」という曲が収録されている。
54歳のBonoが、自分が育った通りの名前をアルバムに刻んだ。
世界経済フォーラムで演説し、ローマ法王と握手し、アメリカ大統領と政策を議論し、G8の廊下を歩き回った男が、最終的に帰っていく場所は、ダブリン北部の小さな通りだ。
Bonoが最も素直に自分を語るのは、アイルランドについて語るときだという観察がある。政治、貧困、音楽ビジネス、宗教——これらについて語るとき、彼の言葉はしばしば論争的で、複雑で、時に矛盾をはらむ。しかしアイルランド、ダブリン、シーダーウッド・ロードについて語るとき、その言葉はシンプルになる。
「あそこが俺を作った」。
2013年にネルソン・マンデラが亡くなったとき、Bonoはアイリッシュ・タイムズに追悼文を寄せた。その文章の中で、マンデラとロベン島の独房の外で過ごした時間を書きながら、Bonoは自分自身のアイルランドの記憶と重ね合わせた。投獄と貧困と差別は、形は違えど、同じ種類の不自由だ——という確信が、その文章の底に流れていた。
Bonoは節税問題でアイルランドを批判された。「アイルランドへの忠誠心」という言葉を向けられた。それでも彼は「アイルランドへの忠誠心」を、税金の形ではなく、音楽の形で表現し続けた。
「Cedarwood Road」は、その表現の最も個人的な形だ。
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この4章を通じて、Bonoという人間の輪郭が浮かび上がってくる。
カトリックとプロテスタントの間で生まれ、14歳で母を失い、学校の掲示板の紙一枚からステージに立つことになった男。「Sunday Bloody Sunday」で暴力を拒否し、Live Aidでステージを降りて少女を救い、法王のサングラスを笑いに変え、マンデラの前で謙虚になった男。
緑内障のサングラスをかけ、節税問題で批判を受け、「俺は偽善者か」と自問しながら、それでも歌い続けた男。
矛盾を抱えたまま進むことが、Bonoの方法だった。
「俺たちは一つだが、同じではない。俺たちは互いを背負う特権を持っている」——この言葉は、Bonoが自分自身にも言い聞かせてきた言葉なのかもしれない。
完璧ではない。矛盾している。でも、止まらない。
それがBono、そしてU2というバンドの、60年間の正直な姿だ。🍀
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