「Court and Spark」の商業的成功の後、Joniは長い戦いを続けた。
批評家との戦い。音楽業界との戦い。そして何より、「自分の音楽的確信と、世界の求めるものの間のギャップ」との戦いだ。
第1章ではポリオから始まったJoniの音楽的革命、「Blue」の告白的な美しさ、「Court and Spark」の頂点、そして「Hejira」と「Mingus」でのジャズへの越境を辿った。第2章では、その後のJoniが——批評家に叩かれながら、私生活の激動を経ながら——どのように自分の道を歩み続けたかを追う。
そして最後に、2015年の脳動脈瘤と、2023年のニューポート・ジャズ・フェスティバルへの奇跡の帰還。
あなたはJoniの後半のキャリアで、特に心に残るアルバムや曲がありますか?
🌑 ゲフィン時代の苦悩——批評家との長い戦い
1982年から1991年にかけての「ゲフィン時代」は、Joniのキャリアで最も評価が割れた時期だ。
デビッド・ゲフィンが設立したGeffen Recordsに移籍したJoniは、この時期に「Wild Things Run Fast」(1982年)、「Dog Eat Dog」(1985年)、「Chalk Mark in a Rainstorm」(1988年)という3枚のアルバムをリリースした。
批評家の多くはこれらのアルバムを「JoniがポップとMTVの時代に媚びた作品」と評した。特に「Dog Eat Dog」は、当時流行していた電子音楽の影響を強く受けており、シンセサイザーの音が前面に出た作品だ。「これはJoni Mitchellの音楽ではない」という声が、アメリカの音楽評論の世界で上がった。
しかし本当に「媚びた」のだろうか——そこをよく聴いてみると、興味深いことがわかる。
「Dog Eat Dog」のタイトル曲と「Tax Free」という曲を聴くと、Joniが「ポップになろうとした」のではなく、「1980年代のアメリカの政治と社会への怒り」を電子音楽の言語で表現しようとしていたことがわかる。レーガン政権下の保守化するアメリカ、増大する経済格差、TVによる大衆操作——これらへの批判が、シンセサイザーの冷たい音と重なっている。
「Tax Free」にはエレクトロニクス界の先駆者、Thomas Dolbyが参加し、テレビ伝道師の詐欺的な側面を皮肉った内容だ。表面上は「商業的なポップサウンド」に見えるが、その中身は政治的に挑発的だった。
Joniはこの時期の批判について、晩年にこう語っている——「批評家たちは私が変わることを恐れていた。しかし芸術家が成長しないことの方が、もっと恐ろしいことだ」。
あなたはアーティストが音楽スタイルを大きく変えたとき、それを「裏切り」と感じますか?それとも「成長」と感じますか?
💊 孤独と内面の闘い——Joniが語らなかった1980年代
ゲフィン時代の音楽的な評価の低下の裏には、Joniの個人的な状況が深く関わっていた。
1982年、Joniはプロデューサーのラリー・クラインと結婚した。クラインはJoniの「Mingus」以降のアルバムに深く関わっていたベーシスト兼プロデューサーだ。この結婚は1994年まで続いた。
表面上はパートナーを得た安定した時期に見えるが、Joniはこの時期について「音楽的に最も孤立していた時代」と後に語っている。何が彼女をそう感じさせたのか。
一つには、スタジオでの創作プロセスの変化がある。「Blue」「Hejira」の時代、Joniは自分の感情を直接音楽に変換した。しかしゲフィン時代には、プロデューサーやレコード会社の意向が創作に入り込んできた。「もっとラジオで流れやすい曲を」「もっとMTVに対応した映像的なサウンドを」——そういう声が、Joniの純粋な創作衝動と衝突した。
二つ目には、音楽産業の変化への戸惑いがある。1980年代はMTVが音楽業界を変えた時代だ。「見える音楽」が求められるようになり、Joniのように「聴く音楽」を信じるアーティストには、新しい適応を迫られる時代だった。
三つ目は、より個人的な問題だ——Joniは自分が1965年に養子に出した娘のことを、心の奥底でずっと抱えていた。音楽に集中しながらも、その痛みは消えなかった。
「Wild Things Run Fast」のアルバムには「Chinese Café/Unchained Melody」という曲がある。「ウンチェインド・メロディー」のカバーと自作曲を組み合わせたこの曲の歌詞に、養子に出した娘への言及が隠されていた——「我が子よ、我が子よ、私たちがまだ若かった頃(Nothing lasts for long)」というフレーズが、それだ。
Joniは音楽で語ることができないことを、音楽で語った——それがこの時期の作品を「失敗作」ではなく「別の深み」として聴かせる。
🎭 「Turbulent Indigo」——ゴッホと自分を重ねた復活
1994年、Joniは「Turbulent Indigo」でキャリアの復活を遂げた。
このアルバムのジャケットは衝撃的だ。フィンセント・ファン・ゴッホの自画像(包帯で耳を覆った有名な作品)を模して、Joniが自分の耳を包帯で覆い、ゴッホと同じポーズで描かれたイラストが使われている。
このジャケットが示すメッセージは明確だ——「私はゴッホと同じ場所にいる。生前に理解されない天才の孤独の中に」。批評家に否定され、音楽産業に翻弄された12年間を経て、Joniはゴッホという歴史的な「誤解されたアーティスト」に自分を重ねた。
「Turbulent Indigo」というタイトルは、ゴッホが多用した「激しい青(インディゴ)」への言及だ。ゴッホの絵の特徴である渦巻く空、激しい筆致、そして深い青——これらがJoniの音楽的な激しさと内面の嵐と共鳴している。
アルバムの中の「Magdalene Laundries」は、アイルランドの「マグダレン・ランドリー」——「堕落した」とされた女性たちが強制労働に従事させられた修道院の施設——について書かれた曲だ。社会的な弱者への怒りと共感が、Joniの最も鋭い側面として現れている。
このアルバムでJoniはグラミー賞「最優秀ポップ・アルバム」を受賞した。長い「暗黒の時代」の後の、公的な認定だった。
しかしJoni自身にとってより重要だったのは、このアルバムが「自分の声を取り戻した」という感覚だったはずだ。ゲフィン時代の「妥協」から解放され、自分の感情と社会への視点を直接音楽に変換する原点に戻れた——「Turbulent Indigo」はその宣言だった。
💔 養子に出した娘——Kilauren Giensとの再会
1997年、Joniのキャリアで最も個人的な出来事が起きた。
32年前に養子に出した娘が、Joniを探し当てた。
1965年、21歳のJoniがカナダの病院で一人で産んだ女の子は、Giensという家族に引き取られ、Kilauren Giens(キラーレン・ジーンズ)として育てられた。Kilaurenは成長して自分の出自を調べ始め、1997年についにJoniとの接触に成功した。
二人が最初に電話で話したとき、JoniはKilaurenの声を聞いて「私の声と同じだ」と気づいたという。
この再会について、Joniはその後のインタビューで率直に語っている。「32年間、私はその痛みとともに生きてきた。彼女が私を見つけてくれたとき、何か長い間続いていた苦しみが、少し軽くなった」。
Kilaurenには子供もおり、JoniはKilaurenとその子供たちとの関係を少しずつ築いていった。しかしこの再会は単純に「ハッピーエンド」ではなかった。長い別離の後の再会が持つ複雑さ——互いへの期待、感情の混乱、「母と娘」という関係を一から構築することの難しさ——これらが二人の関係に影を落とすこともあった。
この体験がJoniの1990年代以降の音楽に与えた影響は大きい。「Taming the Tiger」(1998年)のアルバムでJoniは「The Crazy Cries of Love」「Face Lift」など、失われた時間と人間関係の複雑さをテーマにした曲を書いている。
Joniが1965年に養子に出したとき、彼女は「アーティストとして生きる」という選択と「母親として生きる」という選択の間で、最も残酷な決断を迫られた。その決断の痛みが32年後に再会という形で現れ、さらにその後の音楽に溶け込んでいった——Joniの音楽が「個人的」である理由が、ここにも深く根ざしている。
あなたはアーティストの私生活を知ることで、その音楽の聴こえ方が変わった経験がありますか?
🌅 オーケストラとの「Both Sides Now」——57歳の再発見
2000年、Joniはアルバム「Both Sides Now」をリリースした。
これは「Both Sides Now」という曲を核に、標準的なポップ・ジャズのスタンダード曲(「At Last」「A Case of You」「You're My Thrill」など)をフルオーケストラとともに再解釈したアルバムだ。
このアルバムには、明確なコンセプトがある——「若い頃に書いた曲と、若い頃に憧れた音楽を、人生の経験を積んだ今の声で歌い直す」というものだ。
1960年代のジャズとポップのスタンダード——エラ・フィッツジェラルドやナット・キング・コールが歌った曲たち——が、57歳のJoniの声で歌われる。アレンジはクレシェンツのヴィニー・メンドーサが手がけ、スタジオ・オーケストラとジャズのミュージシャンが混在している。
その中心に置かれた「Both Sides Now」は、先に述べたように、若い頃のJoniが書いた曲だ。しかし57歳の声で歌われるとき、同じ歌詞がまったく異なる重みを持つ。
「Clouds」(1969年版)の「Both Sides Now」を聴いてから、「Both Sides Now」(2000年版)の同曲を聴く——この体験を、ぜひ試してほしい。最初の驚きは「声が違う」ということだ。しかししばらく聴き続けると、「声だけでなく、言葉の意味が変わっている」という感覚が訪れる。
「I've looked at love from both sides now(愛をその両面から見てきた)」——20代の声で歌われるとき、これは「これから経験することへの想像」として響く。57歳の声で歌われるとき、これは「実際に経験したことの回顧」として響く。同じ6つの単語が、全く異なる真実を語る。
このアルバムはグラミー賞「最優秀トラディショナル・ポップ・ボーカル・アルバム」にノミネートされた。しかし賞よりも重要なのは、このアルバムがJoniに「人生の経験そのものが音楽の素材になる」という新しい地平を与えたことだ。
若い頃には書けない音楽がある。それは失敗や喪失や回復を経た声だけが持てる質感だ——「Both Sides Now」の2000年版は、その質感の最も完璧な証明だ。
🦁 「Travelogue」と晩年のジャズ探求
2002年、Joniは「Travelogue」というダブルアルバムをリリースした。
「Both Sides Now」の方向性をさらに押し進めたこの作品は、Joniの過去のカタログから選んだ曲をフルオーケストラで再解釈したものだ。「Amelia」「Woodstock」「The Circle Game」「Hejira」——過去の代表曲が、成熟したオーケストラル・ジャズのアレンジで生まれ変わる。
「Travelogue」というタイトルは「旅行記」を意味する。それはJoniの音楽的な旅の総覧でもあり、過去と現在の対話でもある。
このアルバムで私が最も印象に受けるのは、「Woodstock」の再解釈だ。1969年のウッドストック・フェスティバルを歌ったこの曲——実はJoniはウッドストックに参加していない。テレビの出演があったため、当日は行けなかった。しかし彼女はニュースでウッドストックを見ながら、あの「地上に戻って、楽園の庭を耕そう」という歌詞を書いた。
見ていないものを見たように書いた——それが「Woodstock」の面白さだ。そして2002年、ウッドストックから33年後に、Joniはオーケストラとともにその曲を歌い直した。「楽園の庭を耕そう」という言葉が、環境問題が深刻化した2002年に歌われるとき、また別の重みを持つ。
このアルバムをきっかけに、Joniはしばらく公の場に出ることが少なくなった。インタビューで彼女は「私は音楽業界に疲れた。私が作りたいものと、業界が求めるものの間の溝が、もう埋められない」と語っている。
しかしJoniの芸術的な旅は、音楽だけでなく絵画という形でも続いていた。
❤️ Joniと絵画——音楽と同じくらい大切なもう一つの声
Joni Mitchellを音楽家としてのみ語ることは、彼女の半分しか語らないことになる。
幼い頃から絵を描くことが好きだったJoniは、音楽キャリアの間も常に絵を描き続けた。自身のアルバムのジャケットの多くに自分の絵や写真を使い、「Turbulent Indigo」のゴッホへのオマージュのジャケットも彼女自身の手によるものだ。
Joniの絵はジャンルとしては「ポストモダンの素朴派」とも「独自の叙情的な現代画」とも表現される——いずれのカテゴリーにもきっちり収まらない、音楽と同様の「分類しにくさ」を持っている。
Joniはこう語っている——「私にとって、絵を描くことと歌を書くことは、同じ衝動から来ている。美しいものを、または醜いものを、自分の目で捉えて、言葉か色か音かで表現する。それだけのことだ」。
カナダのバンクーバー美術館では、Joniの絵画の展覧会が開催されたことがある。訪れた人々の多くが「Joniの絵を見ると、彼女の音楽が聴こえてくる」と語った。それはJoniの芸術が、媒体は違っても同じ魂から生まれているからだ。
この「絵画と音楽の二重の声」は、Joniを他のシンガー・ソングライターから明確に区別するものだ。ボブ・ディランも絵を描くが、Joniの場合は絵画への傾倒の深さが違う。彼女にとって絵は「趣味」ではなく「もう一つの本業」だ。
この二重の芸術的な本業が、Joniの音楽に与えた影響は計り知れない。視覚芸術家の「色彩感覚」と「構図への意識」が、音楽の「音色の選択」と「楽曲の構造」に直接影響している。Joniが60種類以上のチューニングを持つように、彼女は色も60種類以上の質感で使い分ける——これは同じ芸術的衝動の、別の表現だ。
あなたは音楽家が絵を描いたり、詩を書いたりするマルチな創作活動を、音楽と同じくらい真剣に受け取りますか? 🎨🖼️
🎗️ 脳動脈瘤からの奇跡——リハビリと再起
2015年3月、Joni Mitchellは自宅の浴室で倒れているところを発見された。脳動脈瘤による脳卒中だった。
緊急搬送され、集中治療室に入った。71歳だった。
最初の報道は「意識不明」「生命の危機」という言葉で溢れた。音楽界では「Joniは終わった」という声が広まった。言語能力と身体能力への深刻なダメージが報告され、ギターを弾くことも、歌うことも、もはや不可能ではないかと言われた。
しかしJoniは回復し始めた。
リハビリは長く、困難なものだった。言葉を取り戻すために、思考と言語の回路を一から再構築しなければならなかった。手を動かすために、神経の経路を少しずつ再学習した。
リハビリのプロセスについて、Joniは限られた言葉で語っている——「毎日、少しずつ。昨日できなかったことが、今日できる。それだけを考えた」。この言葉の簡潔さが、逆にリハビリの過酷さを伝えている。
脳卒中からの回復は、ポリオからの回復と構造的に似ている。9歳のJoniが「歩けなくなるかもしれない」と言われながら歩くことを選んだように、71歳のJoniは「もう歌えないかもしれない」という状況から歌うことを選んだ。
65年の間に、同じ選択を二度迫られた——そして二度とも、Joniは「やる」と選んだ。
2021年、脳卒中から6年後、Joniはニューポート・フォーク・フェスティバルのステージに「サプライズ」として登場した。車椅子に座ったままだったが、歌った。その瞬間の映像がSNSで拡散され、世界中で「奇跡」と呼ばれた。
そしてさらに2年後——2023年、Joniは立ち上がった。
👑 2023年ニューポート——21年ぶりのステージ
2023年7月25日、ロードアイランド州ニューポート。
ニューポート・ジャズ・フェスティバル。
Joni Mitchellが、21年ぶりにライブパフォーマンスを行った。
2002年の「Travelogue」ツアー以来の本格的なライブ出演。脳動脈瘤から8年後の復活。79歳の女性が、世界の前でギターを手に歌った。
このコンサートは後に「Joni Mitchell at Newport」というライブアルバムとしてリリースされ、グラミー賞「最優秀トラディショナル・ポップ・ボーカル・アルバム」にノミネートされた。
この夜の演奏は、技術的な完璧さとは別の場所にあった。声は若い頃とは違い、動きは制限されていた。しかし、何十年もJoniの音楽を愛してきたリスナーたちにとって、あの夜の体験は「完璧さ」を超えるものだった。
「Both Sides Now」を歌うJoniの映像を見たとき、私は1969年版と2000年版と、そして2023年版の「Both Sides Now」が頭の中で重なった。22歳の声、57歳の声、79歳の声——三つの声が、同じ歌詞を全く異なる深みで歌っている。
「I've looked at life from both sides now」——これを79歳のJoniが歌うとき、それはもはや「見てきた」という過去形ではなく、「見続けている」という現在進行形として響く。
ライブでは「Help Me」「Big Yellow Taxi」「A Case of You」「Circle Game」なども演奏された。50年以上前に書かれた曲が、2023年の夜に新しい命を吹き込まれた。
会場にいた観客は泣いていた。そのほとんどは喜びの涙だったと、取材した記者たちが伝えている——「彼女がそこにいること」そのものへの感謝の涙だ。
あなたはいつか、Joniのライブを体験したことがありますか?または、もし体験できるとしたら、聴きたい曲は何ですか?
🚀 Joni Mitchellが変えたもの——後世への遺産
Joni Mitchellが音楽の世界に残した遺産を語るとき、「影響を受けたアーティスト」のリストが最も雄弁だ。
プリンス、アデル、テイラー・スウィフト、ビョーク、ノラ・ジョーンズ、スクリレックス——ジャンルも時代も全く異なる音楽家たちが、Joniを「最も重要なインスピレーション」の一人として名を挙げる。
なぜこれほど多様なアーティストがJoniに影響を受けたのか。
その答えは「Joniが特定のジャンルに属さなかった」という点にある。フォークからポップへ、ポップからジャズへ、ジャズからオーケストラへ——Joniは常に「次の場所」へと移動し続けた。その移動のたびに批評家に叩かれ、しかしその移動が後の世代に「音楽に境界線を引く必要はない」という許可を与えた。
アデルはグラミー賞授賞式でJoniへの敬意を表したとき、「彼女の音楽は私を作った」と語った。テイラー・スウィフトはインタビューで「Joni Mitchellは私が最初に本当に好きになったソングライターだ」と語っている。
Joniのもう一つの重大な遺産は「女性ソングライターの地位の確立」だ。1960年代後半に、女性が自分の感情と性と喪失について、これほど直接的に歌詞に書くことは革命的だった。「Blue」がなければ、そこから派生した無数の「告白的なソングライティング」のジャンルが生まれなかったかもしれない。
Rolling Stoneは彼女を「史上最も偉大なソングライターの第9位」(2021年のリスト改訂版)に選んだ——ボブ・ディランに次ぐ位置に、Joniが入っている。
しかし最も重要な遺産は、数字やランキングに表れない何かだ。
Joniは「音楽が個人の経験をそのまま届けることができる」という証明をした。「Blue」で皮膚のない状態で感情を届け、「Hejira」で孤独な旅をそのまま音楽にし、「Both Sides Now」の2000年版で年を重ねることの意味を音楽で示した——これらは技術でも才能でもなく、「誠実さ」の産物だ。
9歳でポリオに感染し、弱くなった左手でギターをチューニングし直した少女が——79歳でニューポートのステージに立った。
その間に書かれた曲たちは、今日も世界中で、誰かの午後に流れている。
Joniの音楽は、あなたの人生のどんな場面に流れていましたか?🎸
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