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🇺🇲 第2章|世界を渡り歩いたメロディ——Bacharachが届けた、1000人の歌声 〜 |カーペンターズの囁き、トム・ジョーンズの咆哮、アレサの魂——Bacharachという名の川 〜|「雨にぬれても」から「アーサーのテーマ」まで——映画音楽の頂点に立った男の軌跡

 

 

 

 

 

Burt Bacharachの偉大さを理解する一つの方法は、彼の曲が誰によって歌われたかを並べてみることだ。

 

 

Dionne Warwick、Dusty Springfield、Tom Jones、Cilla Black、Carpenters、Aretha Franklin、Elvis Presley、The Beatles、Gene Pitney、Jackie DeShannon、B.J. Thomas、Herb Alpert、Bobbie Gentry、Christopher Cross、Elvis Costello——。

 

 

この名前のリストは、単なる「カバーアーティストの一覧」ではない。それぞれが時代を代表する歌手であり、それぞれがBacharachの曲によって自身のキャリアの重要な1ページを刻んだ。一人の作曲家が、これほど多くの、これほど多様な声に「その人の代表曲」を提供した例は、20世紀ポップス史の中でも類を見ない。

 

 

レコーディング・アカデミーが2008年に「音楽界で最も偉大な存在感を持つ作曲家」と呼んだ人物。図書館議会のガーシュイン賞を、Hal Davidとともに作詞作曲コンビとして初めて受賞した人物。

 

 

Burt Bacharach。第2章では、彼の曲が誰の手で輝いたか、そしてその曲がいかに映画の世界でも頂点を極めたかを辿る。

 

 

 

🌹 Tom Jones——「What's New Pussycat?」という爆発

 

 

まず、最も意外かもしれない組み合わせから始めよう。

 

 

1965年、ウッディ・アレン監督の映画「What's New Pussycat?」。この映画のために書かれた主題歌を歌ったのが、ウェールズ出身のパワフルなテノール、Tom Jonesだった。

 

 

「What's New Pussycat?」は、BacharachのポップスとTom Jonesの豪快なボーカルが、最高の形で化学反応を起こした一曲だ。冒頭の「Whooooa, whoa-whoa-oh!」という独特のスキャットは、Tom Jonesのトレードマークの一つとなり、世代を超えて語り継がれることになった。

 

 

この曲はアメリカのBillboard Hot 100で最高3位を記録し、Tom Jonesのアメリカでのキャリアを一気に押し上げた。アカデミー賞「最優秀主題歌賞」にもノミネートされた。

 

 

しかし実は、この曲の起源には少し不思議なエピソードがある。もともとTom Jonesではなく、別の歌手のために書かれる予定だったという説がある。最終的にTom Jonesの声と出会ったとき、BacharachとDavidは「これ以上の声はない」と直感した——そのキャスティングの正確さが、曲の完成度を決定した。

 

 

Bacharachは後にTom Jonesについてこう語っている——「彼の声は信じられないほどパワフルで、しかし細部のコントロールが素晴らしい。あのサビの上昇するメロディラインを、Tom以外で歌える人間はほとんどいないだろう」。

 

 

 

🌸 Cilla Black——「Anyone Who Had a Heart」という奇跡の逆転

 

 

音楽史には、「本来の版ではなくカバー版の方が先に大ヒットした」という皮肉な逆転劇がいくつかある。

 

 

「Anyone Who Had a Heart」はそのもっとも有名な例の一つだ。

 

 

この曲は1963年、Dionne Warwickのために書かれた。DionneのバージョンはアメリカでBillboard Hot 100の第8位に達した大ヒットだった。しかしイギリスでは状況が逆転した。リバプール出身のCilla Blackがこの曲をカバーし、1964年にイギリスのシングルチャートで1位を獲得。しかも3週間連続でチャートのトップに君臨した。

 

 

Cilla Blackのバージョンが成功した理由の一つは、彼女の声の持つ「脆さ」にある。Dionneのバージョンがどこかクールで洗練された悲しみを表現しているとすれば、Cillaのバージョンはより生々しく、傷つきやすい感情をそのまま声に乗せている。同じ曲でありながら、全く異なる感情的な体験を作り出した——これがBacharachの曲の懐の深さを示している。

 

 

後に複数のアーティストがこの曲を録音したが、DioneとCillaのどちらのバージョンも「決定的な版」として語り継がれている。Bacharachの曲が「一つの声に縛られない」という証明だ。

 

 

 

🎸 The Beatles が録音したBacharach曲——「Baby It's You」

 

 

1962年、The BeatlesはEMIのマネジャー、Brian Epsteinの指示のもと、Bacharachが書いた曲を録音した。

 

 

「Baby It's You」——1961年にThe Shirellesが録音してBillboard Hot 100で第8位を記録したこの曲を、Beatlesはデビューアルバム「Please Please Me」(1963年)に収録した。

 

 

この事実は、Bacharachの普及の広さを示すものとして、しばしば引用される。当時のThe Beatlesは、まだ「他のソングライターの曲を録音するカバーバンド」としての性格を持っていた。彼らがレパートリーに選ぶ曲は、当時最もクオリティが高いと判断されたものだった。その中にBacharachの曲が含まれていたことは、彼の曲の普遍的な「歌いやすさ」と「引力」を示している。

 

 

後年、Bacharachは「Baby It's You」についてこう語っている——「The Shiellesのオリジナルも素晴らしかったが、Beatlesのバージョンもまた全く別の魅力があった。曲が異なる声によって生まれ変わる——それが音楽というものの素晴らしさだ」。

 

 

 

💛 The Carpenters——「(They Long to Be) Close to You」という完璧な出会い

 

 

1963年、Richard Chamberlainが最初に録音した。ヒットしなかった。

 

 

1964年、Dionne Warwickがアルバムトラックとして録音した。やはりヒットしなかった。

 

 

Herb Alpertにも持ち込まれたが、彼は自分のバージョンが気に入らず、お蔵入りにした。

 

 

そして1970年、The Carpentersがこの曲と出会った。

 

 

「(They Long to Be) Close to You」——The Carpentersのバージョンは、ポップチャートで1位を獲得し、グラミー賞「最優秀新人アーティスト」受賞の年に彼らのブレイクスルーとなった。

 

 

なぜThe Carpentersのバージョンだけが成功したのか。それはKaren Carpenterの声にある。

 

 

Karenのコントラルトの声は——低く、温かく、どこか哀愁を帯びながら、しかし決して暗くならない——Bacharachのこの曲が必要としていた声そのものだった。曲の持つ「切なさ」と「温かさ」の同居を、Karenほど正確に表現できる声は、当時のポップスの世界にはほとんど存在しなかった。

 

 

Bacharachは後にKarenのこの録音を聴いたときの感動を語っている——「私は涙が出るほど感動した。自分の曲でそういう経験をすることはめったにない。Karenは曲の中に入り込んで、そこにいた」。

 

 

この曲は世界中で1000万枚以上を売り上げ、The Carpentersを国際的スターへと押し上げた。同時に、この曲は「7年間ヒットできなかった曲が、正しい声と出会うことで突然輝き出す」という音楽の神秘を、完璧な形で体現した。

 

 

 

🎤 Aretha Franklin——「I Say a Little Prayer」という逆転劇

 

 

1967年、「I Say a Little Prayer」は最初Dionne Warwickのために書かれ、録音された。

 

 

しかしBacharach自身が、Dionneのバージョンに満足していなかった。

 

 

「俺は失敗したと思った。テンポが速すぎた。このレコードを出したくなかった」——これがBacharach本人の言葉だ。しかし出してみると、曲はヒットした。「俺は間違っていた」とBacharachは認めた。

 

 

翌1968年、Aretha Franklinがある日スタジオでバックシンガーたちと「楽しみのために」この曲を歌い始めた。その場の空気が変わった。プロデューサーのJerry Wexlerが「これはレコードにしなければならない」と判断した。

 

 

ArethaのバージョンはBillboard Hot 100で第10位、UKチャートで第4位を記録。しかしチャートの順位よりも重要なのは、ArethaがこのBacharach-Davidの曲を完全に「自分のもの」にしてしまった、という事実だ。

 

 

「I Say a Little Prayer」は今日、Aretha Franklinの代表曲として語られる。1997年の映画「マイ・ベスト・フレンドズ・ウェディング」での使用により、新しい世代にも広まった。この曲は「Arethaの曲」として記憶されているが、書いたのはBacharachとDavidだった——これはBacharachの曲が持つ「誰でも自分のものにできる」という普遍性の最も鮮やかな例だ。

 

 

Bacharachはこの逆転についてこう語っている——「ArethaはただDionneよりずっと良いレコードを作った。それだけのことだ。ArethaのバージョンはDionneのものよりずっと良かった。彼女が最高の仕事をした」。

 

 

 

🌟 Dusty Springfield——「The Look of Love」という官能の結晶

 

 

1967年の映画「カジノ・ロワイヤル」のために書かれた「The Look of Love」は、Dusty Springfieldのバージョンによって初めて世界に届いた。

 

 

この録音は、Bacharachの作曲技法のすべてが凝縮された一曲だ。

 

 

ボサノバのリズムを基調にした、ゆっくりとした官能的なテンポ。ジャズのコード感覚を持ったストリングスのアレンジ。そしてDusty Springfieldの、うっとりするような声——これ以上の組み合わせは考えられないほどの完璧な調和だった。

 

 

Bacharachは「The Look of Love」を書いたきっかけについて、映画のシーンからインスピレーションを受けたと語っている。「あの種の官能性を音楽で表現したかった。ゆっくりと、夢の中を歩くような感触で」。

 

 

この曲はその後、Sergio Mendes、Diana Krall、Isaac Hayes、Claudine Longet、Gladys Knight & the Pipsなど、数多くのアーティストによってカバーされ、ジャズのスタンダードとしての地位を確立した。しかしDusty Springfieldのオリジナルバージョンが持つ、あの夢の中を漂うような感触は、どのカバーも完全には再現できていない。

 

 

 

🎬 映画「明日に向かって撃て!」——西部劇に降り注いだ、ポップスの奇跡

 

 

1969年。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演、ジョージ・ロイ・ヒル監督の「明日に向かって撃て!(Butch Cassidy and the Sundance Kid)」。

 

 

この映画の音楽をBacharach-Davidが全面的に担当することになった経緯には、少し驚くべき要素がある。

 

 

当時のBacharachは、ポップスのヒットメーカーとしての地位は確立していたが、映画の全面スコアを担当した経験はほとんどなかった。しかしジョージ・ロイ・ヒル監督はBacharachの音楽に強い信頼を置いており、「この映画のために正しい音楽を書ける人物はBacharachだ」という確信を持って依頼した。

 

 

映画の中で最も有名な音楽的瞬間は、ポール・ニューマンが自転車に乗りながらキャサリン・ロスを楽しませるシーンだ。このシーンに流れるのが「Raindrops Keep Fallin' on My Head(雨にぬれても)」——B.J. Thomasが歌った、明るく楽天的なポップソングだ。

 

 

この曲の革命的な点は、「西部劇の主題歌らしくない」という点にある。銃声も、砂漠の孤独感も、男の渋さもない。あるのは「雨に濡れても俺は文句を言わない」という開き直りと、弾むようなポップメロディだ。これがあの自転車のシーンと完璧に合致した——シリアスになりがちな西部劇に、軽やかなユーモアと解放感をもたらした。

 

 

「雨にぬれても」はアカデミー賞「最優秀主題歌賞」を受賞。「明日に向かって撃て!」のスコア全体では「最優秀音楽賞」も受賞。同一映画での2冠という前代未聞の快挙だった。

 

 

 

☀️ B.J. Thomas——「雨にぬれても」誕生の裏話

 

 

「Raindrops Keep Fallin' on My Head」をB.J. Thomasが歌うことになった経緯には、実はいくつかの候補があった。

 

 

最初、Bacharachはレイ・スティーヴンスへのオファーを検討した。Bob Dylanへのアプローチも試みたという記録がある。しかしDylanは断った。その後、さまざまな選択肢を検討した結果、B.J. Thomasに白羽の矢が立った。

 

 

B.J. Thomasは当時、カントリーとポップスの間を行き来するシンガーとして知られていた。彼の声には、特定のジャンルに縛られない柔軟性があった。「雨にぬれても」の持つ、西部劇でありながらポップであるという二重性を、彼の声は自然に体現した。

 

 

レコーディング当日、B.J. Thomasは体調が優れなかったという記録がある。しかし完成した録音は「完璧」だったとBacharachは振り返っている。「あの朗らかさ、あの解放感——それが曲に必要なすべてだった。B.J.は完璧にそれを届けた」。

 

 

曲はBillboard Hot 100で1位を獲得。UKチャートでもトップ10入りを果たした。現在でもこの曲は、1960年代末のポップスを代表する一曲として、世界中でラジオでかかり続けている。

 

 

 

🌙 「Close to You」から「One Less Bell to Answer」へ——1970年代への橋渡し

 

 

「(They Long to Be) Close to You」のヒットが1970年代の幕開けを告げたとすれば、その後もBacharachの曲は次々と別の声によって生まれ変わり続けた。

 

 

「One Less Bell to Answer」——5th Dimensionが録音したこの曲は、1970年にBillboard Hot 100で第2位を記録。別れた後の空虚な日常を歌った歌詞が、多くの人の心に刺さった。

 

 

Gene Pitneyのために書いた「24 Hours from Tulsa」は、アメリカで第17位、UKで第5位を記録。ロードムービー的な物語性を持つこの曲は、1960年代初頭のBacharachのストーリーテリング能力を示している。

 

 

Herb Alpert & The Tijuana Brassのための「Casino Royale」——主にインストゥルメンタルとして知られるこの曲は、Bacharachのジャズアレンジ能力の高さを示す一例だ。Herb Alpertのトランペットとラテンのリズムが絡み合う独特のサウンドは、後にBacharachの「映画音楽家」としての側面を確立する足がかりになった。

 

 

 

🏆 アカデミー賞3冠——映画音楽家としての頂点

 

 

🌱中学生の頃、B.J.トーマスが歌う「雨にぬれても」の、明るくほのぼのとした歌声に夢中になった。父にねだってEPレコードを買ってもらい、そのレコードを胸に抱えて帰った日のことが、今でも鮮明に思い出される。

あの曲がアカデミー賞を受賞していたと知ったのは、4〜5年後のことだった。映画「明日に向かって撃て!」の挿入歌だったと気づいたとき、あの少年の日の高揚感が、また胸に戻ってきた。

 

 

Burt Bacharachが受賞したアカデミー賞は3度。これは作曲家としての最高の栄誉だ。

 

 

第1回(1970年):「明日に向かって撃て!」——最優秀主題歌賞(「雨にぬれても」)

 

第2回(1970年):「明日に向かって撃て!」——最優秀音楽賞(スコア全体)

 

第3回(1982年):「アーサー」——最優秀主題歌賞(「Arthur's Theme(Best That You Can Do)」)

 

 

「アーサーのテーマ」は、Bacharachが新しいパートナーCarole Bayer Sager、そしてChristopher CrossとPeter Allenとともに書いた曲だ。Christopher Crossが歌ったこのバージョンは、映画「アーサー」と共に世界中にヒットし、Bacharachの「映画音楽家」としての名声をさらに確固たるものにした。

 

 

「三度のアカデミー賞」という記録は、映画音楽家としての最高峰を示している。Henry Mancini、John Barry、Ennio Morriconeといった名前とともに、Burt Bacharachの名前は「20世紀映画音楽の殿堂」に刻まれた。

 

 

 

🎼 クラシック、ジャズ、ボサノバの融合——Bacharachの作曲術を改めて考える

 

 

第2章を通じて、Bacharachの曲がいかに多様な声によって生き続けたかを見てきた。ここで改めて、なぜそれが可能だったかを考えてみたい。

 

 

Bacharachの作曲の基盤はクラシックとジャズにある。マネス音楽学校での正規の音楽教育が、彼に豊かな音楽理論の知識を与えた。ダリウス・ミヨーとの出会いが、クラシックとポップスの融合の可能性を示した。そしてジャズクラブでのディジー・ガレスピーとチャーリー・パーカーとの出会いが、彼のリズム感覚と和声感覚を根本から変えた。

 

 

ボサノバの要素は、マレーネ・ディートリッヒとの南米ツアーで身についたものだ。ボサノバのリズムの持つ「揺れ」——強拍と弱拍の間にある微妙な曖昧さ——が、Bacharachの曲に独特の浮遊感をもたらした。「The Look of Love」や「Walk On By」のイントロに感じる、あの心地よい揺れはそこから来ている。

 

 

そしてこれらすべての要素を「ポップソング」という3〜4分の形式に収める技術——これがBacharachの最も希有な才能だ。複雑なコード進行を複雑に聴こえないように仕上げ、奇数拍子を自然なリズムとして感じさせ、クラシックの弦楽アレンジをポップスのラジオから流せる形にする。

 

 

この技術は「天才的な作曲センス」という言葉でしか表せない何かだ。学ぶことはできるが、真似することはできない——それがBacharachの作曲術の本質だ。

 

 

 

🌍 1000人を超えるアーティストへの遺産——終わらない旅

 

 

第1章で述べたように、Burt Bacharachの曲は1000人を超えるアーティストによって録音されてきた。

 

 

しかしその数字が意味するのは単なる「人気」ではない。彼の曲が「誰でも自分のものにできる」という特質を持っていた、ということだ。

 

 

Dionne Warwickはその曲でR&Bの感情を表現した。Tom Jonesはロックンロールのエネルギーを注ぎ込んだ。Karen Carpenterはカントリーの哀愁を溶かし込んだ。Aretha Franklinはソウルの魂を宿らせた。Dusty Springfieldはボサノバの官能性を際立たせた。

 

 

同じ曲が、これほど多様な感情的な体験に変身できる——これはBacharachのメロディが、特定のジャンルや感情に縛られない普遍性を持っていたからだ。

 

 

彼のメロディは器だった。誰でもそこに自分の感情を注ぎ込むことができる器。そしてその器は、いかなる感情を注ぎ込まれても、こぼれることなく受け止めた。

 

 

2012年、Bacharach-DavidコンビはGershwin Prize for Popular Songを受賞した。Library of Congressが授与するこの賞を、作詞作曲コンビとして受賞したのは彼らが初めてだった。

 

 

2023年2月8日、Burt Bacharachは94歳でこの世を去った。しかし彼が残した1000曲以上のメロディは、今日も世界中のラジオで、カフェで、映画館で、誰かの耳に届き続けている。

 

 

「彼は音楽の蛇口を開けるように、メロディを繰り出すことができた」——Billboardのある評論家はこう書いた。

 

 

その蛇口は、今も開いたままだ。🎹

 

 

 

 

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著者:(Toshiro Mori)

 

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