psychedelic rock R&B rock rock guitar

🇺🇲 第2章|炎のギタリスト誕生——Jimi Hendrix Experience、モンタレー、そしてウッドストックの朝 〜|ギターを燃やした夜、国歌を歪ませた朝——Jimi Hendrixが鳴らした時代

 

 

 

 

 

1966年9月、ニューヨークから片道切符でロンドンへ旅立った無名のギタリストは、わずか4年後の1970年9月、27歳でこの世を去る。その4年間は、ロック史のなかで、もっとも密度の濃い時間の一つだ。デビューからおよそ1年で、彼は世界中のギタリストの「基準」を書き換え、舞台に火を放ち、スタジオを実験室に変え、そして、まだ誰も聴いたことのない音を、次々とレコードに刻んでいった。

 

 

第1章では、シアトルの貧しい家に生まれた少年が、母を失い、5ドルのギターを手にし、左手で逆さの右利き用ギターを弾き、軍隊と巡業の旅を経て、ニューヨークのカフェで見出されるまでを辿った。第2章は、その続きである。ロンドンで始まった「The Jimi Hendrix Experience」の旅、モンタレーでの炎、スタジオでの魔術、ウッドストックの朝、そして、最後の夏まで。

 

 

この章を書きながら、私は一つのことを意識している。天才の「すごさ」を、ただ数え上げるだけの文章にはしたくない、ということだ。音を一つひとつ聴きながら、その背後にいる、孤独で、やさしくて、不器用で、そして誰よりも好奇心に満ちていた一人の若者の姿を、できるだけ近くで見つめたい。炎のような音の奥にある、静かな体温まで、届けたいと思う。

 

 

 

 

🎩 ロンドン到着——The Jimi Hendrix Experienceの結成

 

 

1966年9月、ロンドン。チャス・チャンドラーは、ヘンドリックスを連れて、この街に降り立った。アニマルズのベーシストだった彼は、すでに、ヘンドリックスのマネージャー兼プロデューサーとして、新しい挑戦を始めていた。彼がまず取り組んだのは、ヘンドリックスの音を、最大限に活かすバンドを作ることだった。

 

 

選ばれたのは、イギリス人のミュージシャン二人。もともとギタリストだったが、ベースに転向したノエル・レディングと、ジャズやR&Bの現場で鍛えられた、才気あふれるドラマーのミッチ・ミッチェルである。ヘンドリックスを中心に、この三人が揃って、「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」が生まれた。1966年の10月ごろのことだ。ベース、ドラム、ギターと歌という、最小限のトリオ。その少ない音数のなかで、ヘンドリックスのギターは、一人で何人分もの音を鳴らすことになる。

 

 

ミッチ・ミッチェルのドラムは、ジャズの影響を色濃く受けた、自由な語り口を持っていたと言われる。決まったパターンを繰り返すのではなく、ギターの動きに応じて、絶えず反応し、会話を交わす。ノエル・レディングのベースは、その土台を、静かに支えた。三人が、互いの音に耳を澄ませ、一つの生き物のように動く。トリオという最小限の編成が、実は、もっとも自由な編成でもあることを、彼らは証明していた。

 

 

ロンドンで、ヘンドリックスは、すぐに、音楽家たちの間で噂になった。有名なエピソードが残っている。エリック・クラプトンが率いるクリームのコンサートで、ヘンドリックスが、飛び入りで一曲、演奏させてほしいと頼んだというのだ。クラプトンは、その申し出を受け入れ、ヘンドリックスは、ステージで「Killing Floor」を弾いた。客席にいた人々、そしてステージにいた人々は、その場で、目の前のギタリストが、これまでの誰とも違うことを悟った。クラプトンは、のちに、ステージを降りて、少し呆然としていたと伝えられる。

 

 

1966年の暮れ、デビュー・シングル「Hey Joe」が発売される。翌1967年の初めには、イギリスのチャートで6位に入った。続くシングル「Purple Haze」は3位、「The Wind Cries Mary」は6位。わずか数か月のあいだに、立て続けにトップ10ヒットを放ったのだ。アメリカでは「バックのギタリスト」でしかなかった若者が、イギリスでは、たちまち、主役になった。

 

 

私は、この「速さ」に、いつも驚かされる。ニューヨークのカフェで拾われた青年が、ロンドンに着いて数か月で、国中のラジオから流れる声になる。彼の中に、すでに、すべてが溜まっていたのだろう。軍隊の時間、巡業の時間、他人のバックで弾き続けた何年もの時間。その「名前のない時間」の蓄積が、ロンドンという場所で、一気に爆発したのだと思う。ミュージシャンは、ある日突然生まれるのではない。長い沈黙の果てに、ある日、声になる。

 

 

当時のロンドンは、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フーが活躍する、世界の音楽の中心の一つだった。そこに現れた、アメリカ出身の黒人ギタリストは、イギリスの若者たちが憧れていたブルースの本場の香りを、そのまま運んできた存在でもあった。と同時に、そのブルースを、誰も聴いたことのない形に変えてしまう、不思議な魔法使いでもあった。ヘンドリックスは、イギリスの若いギタリストたちにとって、憧れであり、そして、少しだけ、脅威でもあったはずだ。

 

 

 

 

🔥 「Are You Experienced」——デビュー作の衝撃

 

 

1967年の5月、イギリスで、デビュー・アルバム「Are You Experienced」が発売された。アルバムは、国内のチャートで2位に上り、ビートルズの「Sgt. Pepper's」に阻まれて、首位には届かなかった。けれど、そのこと自体が、このアルバムの凄さを物語っている。同じ月に、ビートルズの歴史的な作品が出たのだ。それと並んで、堂々と二番手に並んだ新人バンドが、他にいただろうか。

 

 

アルバムの冒頭を飾るのは、「Foxy Lady」。短く切り込むギターのカッティングと、うねるフィードバック。そして、「Manic Depression」「Love or Confusion」「May This Be Love」。曲の名前を並べるだけで、このアルバムが、一つの感情のスペクトルを、端から端まで走り抜けていることが分かる。激しさと、優しさと、混乱と、陶酔。「Purple Haze」は、ひときわ異質な光を放つ。冒頭の、あの不穏なトライトーンの響き。聴いた瞬間に、何か「向こう側」の世界の扉が、少しだけ開く。

 

 

「Hey Joe」は、もともとフォークの曲を、ヘンドリックスがロックに作り替えたものだ。逃亡する男の物語を、低く這うようなベースと、静かに燃えるギターで描く。ヘンドリックスの「Hey Joe」は、のちに、この曲のもっとも決定的なバージョンとして、語り継がれることになる。「Stone Free」は、軽やかなリズムのなかに、束縛からの自由への願いを込めた曲。「Third Stone from the Sun」は、SFを愛した少年の宇宙旅行が、インストゥルメンタルの音の絵として結晶したような、不思議な作品だ。

 

 

このアルバムは、アメリカでは、少し形を変えて、1967年の夏に発売された。「Purple Haze」「Hey Joe」「The Wind Cries Mary」といった、イギリスではシングルとして先に出た曲が加えられ、アメリカのリスナーにも、彼の全貌が届くように編集されたと言われる。アメリカ版は、全米チャートでトップ5に入った。母国のアメリカが、彼を「発見する」のは、実は、イギリスでの成功の後だった。

 

 

「The Wind Cries Mary」を、私は、このアルバムの時期の、もう一つの顔として愛している。「風がメリーを呼んでいる」という、不思議な題名。静かで、やさしく、どこか寂しいギターが、ゆっくりと夜を歩いていく。激しい音で知られるヘンドリックスが、こんなにも繊細な歌を書いたことに、多くの人が驚いた。けれど、彼の少年時代を知る今、私には、驚きよりも、納得のほうが大きい。母を失い、小さな部屋で、小さな音量で弾き続けていた少年の、静かな祈りが、そこにあるからだ。

 

 

「Are You Experienced」は、のちに、ロック史を代表するデビュー作の一つとして語り継がれることになる。けれど、制作当時、ヘンドリックスの周りにいた人々は、おそらく、自分たちが「歴史」を作っているという自覚よりも、「とにかく、このギタリストの音を残さなければ」という、必死な思いのほうが強かったのではないだろうか。歴史とは、あとから見ればまっすぐな線に見えても、現場では、いつも、手探りの連続だ。

 

 

「Are You Experienced」という題名は、「あなたは、経験したか」と問いかける言葉だ。何を、と聞き返したくなる。音を、夢を、愛を、あるいは、まだ名前のない何かを。問いかけの形をしたこの題名は、聴き手を、自分の内側へと向かわせる入口のように思える。アルバムを聴き終えたとき、私たちは、「経験した」側の人間になっているのだろうか。そんな不思議な問いが、いまも、この作品の周りに漂っている。

 

 

 

 

🎆 モンタレー・ポップ・フェスティバル——ギターに火をつけた夜

 

 

1967年6月18日。カリフォルニア州モンタレー。史上初の大規模ロック・フェスティバルの一つ、モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティバルが開催されていた。ヘンドリックスにとって、これは、母国アメリカの観客の前での、初めてのステージだった。ロンドンで成功を収めた彼を、アメリカは、まだ、ほとんど知らなかった。

 

 

出演者の顔ぶれは、錚々たるものだった。ジャニス・ジョプリン、ザ・フー、オーティス・レディング、ママス&パパス。ヘンドリックスが出演することになった背景には、ポール・マッカートニーが、主催者に彼を推薦したという話が、よく語られる。イギリスのロック界の頂点にいる人物が、アメリカ人のギタリストを、アメリカに紹介したのだ。ここにも、ヘンドリックスが「アメリカより先に、イギリスに見つけられた」ことの皮肉が、にじんでいる。

 

 

出演順をめぐって、ザ・フーのピート・タウンゼントと、ヘンドリックスが、コイン・トスで争ったという逸話もある。ザ・フーは、ステージの最後に、ギターを叩き壊すパフォーマンスで知られていた。その後に出る人は、あまりにも不利だ。ヘンドリックスは、それでも、後攻を選んだと伝えられる。そして、ザ・フーの壮絶なステージの後に、彼は、会場の空気を、まったく別の次元へと塗り替えてみせた。

 

 

ステージのヘンドリックスは、まるで魔法使いのようだった。ギターを背中に回して弾き、歯で弾き、ステージ上を、獣のようにしなやかに動き回る。「Killing Floor」で始まり、「Like a Rolling Stone」を経て、最後の曲、「Wild Thing」へ。曲の終盤で、彼は、ギターのそばにひざまずき、ライター用の燃料をかけ、火を点けた。炎が、ストラトキャスターを包み込む。彼は、まるで祈るように、燃えるギターの上に両手をかざしたと描写される。そして、燃え尽きたギターを、ステージに叩きつけた。

 

 

観客は、ただ、呆然とした。ここで起きたことの意味を、誰もすぐには理解できなかった。それは、パフォーマンスだったのか、それとも、儀式だったのか。ギターという、彼にとって最も大切な道具を、あえて燃やす。それは、破壊の身振りであると同時に、何かへの供物のようにも見えた。私は、この場面を思うたびに、5ドルのギターを手にして、あれほど大切に弾いていた少年の姿を思い出す。大切だからこそ、燃やす。その逆説は、ヘンドリックスという人の本質の、核心にある気がしてならない。

 

 

モンタレーの夜を境に、アメリカは、ヘンドリックスを「発見」した。ロンドンの成功から数か月。彼は、ようやく、母国に、そして、世界に、その名を刻んだ。あの炎は、ギターを焼いただけではなかった。それは、ロックというジャンルの「境界線」を、一夜にして焼き尽くした、象徴的な光だったのだと思う。

 

 

このステージは、D・A・ペネベイカー監督の記録映画「Monterey Pop」にも収められ、その後、世界中の若者たちに、映像を通して伝わっていった。同じフェスティバルには、ジャニス・ジョプリンや、オーティス・レディングも出演し、彼らもまた、この夏、世界に発見された。1967年の夏、いわゆる「サマー・オブ・ラブ」の空気のなかで、モンタレーは、新しい時代の始まりを告げる、象徴的な場所になった。

 

 

 

 

🌌 「Axis: Bold as Love」——宇宙と愛のアルバム

 

 

モンタレーの興奮が冷めやらぬ1967年の暮れ、ヘンドリックスは、セカンド・アルバム「Axis: Bold as Love」をリリースする。デビュー作から、わずか半年あまり。この短い期間で、彼は、もう次の場所へ進んでいた。「Axis」は、前作よりも、さらに内省的で、実験的で、そして、ずっとやさしい作品になった。

 

 

制作にまつわる有名な逸話がある。完成間近のマスターテープ、そのうちの一面ぶんを、ヘンドリックスは、うっかり、タクシーか何かの車内に置き忘れてしまったと伝えられる。テープは戻ってこなかった。彼らは、短い時間で、その一面ぶんを、ほとんど急ごしらえで作り直さなければならなかったという。その切迫のなかで生まれた作品が、結果的に、あの驚くほど繊細な音の質感を持っていることが、私には、不思議に思える。

 

 

アルバムのなかでも、「Little Wing」は、特別な一曲だ。2分半にも満たない、短い曲。けれど、そのなかには、一つの小さな物語が、完全な形で収まっている。ギターは、歌のようにささやき、歌は、ギターのようにつぶやく。のちに、無数のギタリストが、この曲をカバーし、この曲のコード進行やフレージングを、自分たちの手本にした。誰もが「この曲のようなギターを弾きたい」と願う、そういう曲だ。「Castles Made of Sand」は、砂の城が崩れ落ちていく様子を、人生の比喩として歌う、静かなバラード。「If 6 Was 9」は、「6が9なら」という不思議な題名の通り、既存の価値観を軽やかにひっくり返す、サイケデリックな宣言。

 

 

私は、「Bold as Love」の、あの長いギター・ソロが、とりわけ心に残る。「愛のように大胆に」と題されたこの曲の終盤、ギターが、波のように、揺れ、うねり、遠くへ去っていく。音が、左右のスピーカーを行き来しながら、まるで宇宙空間を漂うように、広がっていく。ステレオという技術を、ここまで音楽の表現に使った例は、当時、ほとんどなかったと言われる。少年の頃に夢想した宇宙が、ギターと録音技術によって、本当に、リスナーの耳の中に現れる。

 

 

アルバムのタイトル「Axis: Bold as Love」は、「軸——愛のように大胆に」と訳せる。バンドの軸となる愛、そして、世界の軸になるような、大胆な愛。この題名に、彼が、自分の音楽に求めていた何かが、凝縮されている気がする。破壊的なギターの印象が強いヘンドリックスだけれど、彼が本当に追い求めていたのは、おそらく、愛のかたちだったのではないか。炎の音の奥には、いつも、愛への飢えがあった。そのことを、このアルバムは、静かに教えてくれる。

 

 

「Little Wing」は、その後、多くの音楽家に愛され、カバーされ続けている。エリック・クラプトンは、デレク・アンド・ザ・ドミノスで、この曲を取り上げた。スティーヴィー・レイ・ヴォーンも、ヘンドリックスへの敬意を込めて、この曲を何度も演奏した。2分半に満たない短い曲が、これほど深く、後世のギタリストの心に残る。それは、この曲が、技術の誇示ではなく、感情のもっとも柔らかい部分を、そのまま音にしているからだと思う。

 

 

 

🎛️ 音の発明家——フィードバック、ワウ、ファズ、ウニヴァイブ

 

 

ヘンドリックスを語るとき、「ギターが上手い」という言葉だけでは、まったく足りない。彼は、「音の発明家」でもあった。電気ギターという楽器の、まだ誰も使ったことのない可能性を、次々と開いていった。彼のギターが、ほかの誰とも違って聴こえる理由の多くは、彼の「機材の使い方」にある。

 

 

まず、ストラトキャスターと、マーシャルの大型アンプ。ギターのボリュームを上げ、アンプの音量を大きくする。すると、ギターの弦が、アンプの音を受けて勝手に振動し始め、持続的な、うなるような音——フィードバック——が生まれる。それまでのロックでは、この音は「雑音」として避けられがちだった。けれど、ヘンドリックスは、それを、楽器の一部として、意図的に操った。ギターを持つ位置、アンプとの距離、体の向き。それらを繊細に調整することで、彼は、フィードバックを、まるで生き物のように飼い慣らしたのだ。

 

 

さらに、彼は、さまざまなエフェクターを使いこなした。ファズ・フェイス、ワウペダル、オクターヴ・ファズ、そして、ウニヴァイブ。ファズは、音を荒々しく歪ませる。ワウは、ギターの音を、人間の声のように「しゃべらせる」。ウニヴァイブは、音を、水の中のように、ゆらゆらと揺らす。特に、音響技術者のロジャー・メイヤーとの協力は、彼の音づくりを、一段と深めたと言われる。ヘンドリックスの機材のこだわりは、単なる「音を大きくする」ための道具ではなく、感情の質感を作るための、絵の具のようなものだった。

 

 

私が、とりわけ興味を持つのは、ヘンドリックスが、音を「身体」で操っていたことだ。エフェクターだけに頼ったのではない。ギターを持つ手の強さ、ピックの角度、弦を押さえる指の微妙な圧力。ボリュームノブを回す指の動き。そのすべてが、音色の変化に直結している。彼の指が、アンプとギターの間の、微細な電気の振る舞いを、まるで楽器の一部のように操っていた。機械と人間が、一体になる。そのとき、ギターは、道具ではなく、身体の延長になる。

 

 

第1章で触れた、左手で弾く逆さの右利き用ギターも、ここで、あらためて思い出される。弦の並びが通常と逆になったギターは、独特の音色の癖を持つと言われる。彼は、その癖を、不利な条件としてではなく、自分だけの音として、徹底的に使い込んだ。機材と身体と、そして、生まれながらの制約。それらがすべて、一つの音の中に溶け込んだとき、ヘンドリックスの「声」が生まれたのだ。

 

 

こうした「発明」は、スタジオでも、遺憾なく発揮された。ヘンドリックスは、レコーディングで、音を左右のスピーカーに振り分けたり、テープの回転を変えたり、逆再生を使ったりと、当時の最新の録音技術を、積極的に取り入れた。技術者のエディ・クレイマーとの共同作業は、とりわけ、実り豊かなものだったと言われる。ヘンドリックスの頭の中にある、「音の風景」を、いかに現実の音にするか。その挑戦が、ロックの録音技術そのものを進化させた。

 

 

 

 

🌀 「Electric Ladyland」——スタジオの魔術師と「All Along the Watchtower」

 

 

1968年の秋、ヘンドリックスは、2枚組の大作「Electric Ladyland」を発表する。彼がプロデューサーを務めた、実質的なセルフ・プロデュース作品であり、ロックのアルバムとして、一つの頂点と呼ぶべき完成度を持つ。アメリカのアルバム・チャートでは、ついに1位に到達した。ロンドンで見出された青年は、母国でも、最高の位置にまで登りつめたのだ。

 

 

アルバムのイギリス版ジャケットは、多数の裸の女性を写した写真で、物議をかもした。ヘンドリックス自身は、このジャケットを気に入らなかったと伝えられる。彼が望んでいたのは、メンバー三人の写真を使った、別の意匠だったという。音楽の内容と、世間が貼るラベルとの間に、いつも、小さなずれがあった。そのずれは、彼のキャリアを通じて、静かに続いていく。

 

 

このアルバムの制作は、決して順調ではなかった。ヘンドリックスの周りには、友人やミュージシャンやファンが、頻繁に出入りし、スタジオは、しばしば、ざわざわとした空気に満ちていたと言われる。完璧を求めて、何度もテイクを重ねる彼のやり方に、チャス・チャンドラーは、次第に疲れを覚えていった。結局、彼は、制作の途中で、ヘンドリックスのもとを離れる。ロンドンで彼を見出し、最初の一歩を支えた恩人との別れは、ヘンドリックスにとって、小さくない出来事だった。

 

 

アルバムのなかでも、最もよく知られた曲の一つが、ボブ・ディランのカバー「All Along the Watchtower」だ。ディランのオリジナルは、静かな、アコースティックな曲。ヘンドリックスは、それを、まったく別の曲に作り替えた。冒頭のギターが、不穏な空気を一気に作り、ソロは、雷鳴のように鳴り響く。曲は、シングルとして、アメリカでも、イギリスでも、トップ20に入った。ディラン自身が、ヘンドリックスのバージョンを高く評価し、のちにライブで、ヘンドリックスの編曲に近い形で、この曲を演奏するようになったと言われる。カバーが、原曲を超える瞬間。その稀な例が、ここにある。

 

 

もう一曲、「Voodoo Child (Slight Return)」は、ヘンドリックスの代表曲として、あまりにも有名だ。ワウペダルが唸る、あのイントロ。「俺はブードゥー・チャイルド」と宣言する、圧倒的な自己肯定の歌。ここには、これまで見てきた彼の、すべてが詰まっている。貧しさの中で育った少年、先住民の祖母の物語、軍隊の時間、巡業の孤独、そして、世界を揺らす音。一曲のなかに、一つの人生が、ほとんど暴力的な密度で、凝縮されている。

 

 

アルバムには、「1983...(A Merman I Should Turn to Be)」のような、10分を超える、海を舞台にした幻想的な長編もある。「Still Raining, Still Dreaming」のように、サイケデリックな夢の続きを見せる曲もある。ロックのアルバムという形式を借りながら、ヘンドリックスは、音楽を、まるで一枚の巨大な絵画のように扱っていた。ここまで来ると、もはや「ギタリスト」という肩書きでは、彼を収めきれない。作曲家であり、音響の芸術家であり、物語の語り手。彼は、すでに、ロックという枠を、はるかに超えた場所に立っていた。

 

 

このアルバムの録音には、多くの友人たちが参加した。たとえば、「Voodoo Chile」という、15分近い長大なブルースのセッションには、トラフィックのスティーヴ・ウィンウッドがオルガンを、ジェファーソン・エアプレインのジャック・キャサディがベースを弾いている。スタジオは、ジャム・セッションの熱気に満ちた実験室であり、友情の場でもあった。録音技師のエディ・クレイマーは、その熱気を、一つの作品へとまとめ上げる役割を担ったと言われる。

 

 

 

🌅 星条旗——ウッドストックの朝

 

 

1969年8月18日、月曜日の朝。ニューヨーク州の農場で3日間にわたって開かれていた、ウッドストック・フェスティバルは、最終日の最後の出演者として、ヘンドリックスを待っていた。けれど、雨や進行の遅れが重なり、彼がステージに上がったのは、夜が明けてからだった。数十万人もの観客で埋まっていた会場は、すでに、多くの人が帰路につき、残っていたのは、数万人ほどだったと言われる。

 

 

この日、ヘンドリックスが率いていたのは、エクスペリエンスではなかった。ビリー・コックスがベースを、ミッチ・ミッチェルがドラムを担当し、さらに、ギタリストと二人のパーカッショニストが加わった、新しいバンド。名前は、「ジプシー・サン・アンド・レインボウズ」。軍隊で出会ったビリーが、ふたたび彼の隣にいる。少年時代と、スターの時代が、ここで、静かに重なっていた。

 

 

演奏のクライマックスは、アメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ」だった。彼は、ギターだけで、この曲を弾いた。旋律は、誰もが知っているもの。けれど、その合間に、爆撃機のような轟音、サイレンのような悲鳴、機関銃のような連射音が混ざり込む。「ロケットの赤い輝き、空中で炸裂する爆弾」という歌詞の情景が、ギターの音そのものとして、目の前に再現される。ベトナム戦争の真っただ中、アメリカという国が、その国歌によって、自分の暴力を映し出される。

 

 

この演奏を、「国歌への冒涜だ」と受け止めた人もいた。けれど、ヘンドリックスは、そのつもりではなかったと伝えられる。彼にとって、あれは、ありのままのアメリカを、音で表現しただけだった。美しい旋律と、暴力の音が、同じ一つの国の中に存在している。その矛盾を、そのまま鳴らしたのだ。彼は、軍隊を経験した若者として、戦争の音を、知っていた。だからこそ、あの音は、あれほどの説得力を持った。

 

 

演奏は、そのまま、「Purple Haze」へと続いた。星条旗の余韻のなかで、あの不穏なトライトーンが鳴り始めるとき、聴き手は、国歌から、サイケデリックの霧のなかへ、一気に引きずり込まれる。そして、「Villanova Junction」のような、静かで美しい音の流れで、朝の空気のなかに、彼の演奏は、ゆっくりと溶けていった。

 

 

この演奏は、のちに、記録映画「Woodstock」にも収められ、フェスティバルを象徴する場面の一つとして、世界中の人々の記憶に刻まれた。泥にまみれた若者たち、朝日のなかのギター、国歌の断片。1969年の夏の終わりに、その音は、時代そのものの肖像画として、残された。

 

 

私は、この映像を観るたびに、ステージに立つヘンドリックスの表情に目が行く。熱狂するというより、どこか、静かな祈りのように見える。数万人の、疲れ果てた若者たちが、泥のなかで、朝日を浴びながら、彼のギターを聴いている。そこには、1960年代という時代の、希望と、疲労と、痛みが、一つの音になって鳴っていた。あなたは、ヘンドリックスの「星条旗」を、どんな気持ちで聴きましたか。怒りでしたか。祈りでしたか。それとも、そのどちらでもない何かでしたか。

 

 

 

 

🎶 Band of Gypsys——新しい黒人音楽の試み

 

 

ウッドストックの前後、ヘンドリックスを取り巻く状況は、大きく変わりつつあった。ザ・エクスペリエンスは、1969年の夏に活動を終える。ノエル・レディングは、バンドを離れた。3人の関係は、長いツアーと、名声と、音楽的な方向性の違いのなかで、少しずつ軋んでいたと言われる。ヘンドリックスは、新しい形の音楽を、新しい仲間と、探し始めていた。

 

 

そこで生まれたのが、「バンド・オブ・ジプシーズ」だ。ベースは、軍隊時代からの親友ビリー・コックス。ドラムは、バディ・マイルス。三人とも、黒人のミュージシャンだった。エクスペリエンスが、ブリティッシュ・ロックの文脈で語られることが多かったのに対し、バンド・オブ・ジプシーズは、ファンクとソウルとブルースの、より黒人音楽の根に近い場所へ、戻ろうとする試みだった。

 

 

1969年の大晦日から、1970年の元日にかけて、ニューヨークのフィルモア・イーストで、彼らは、歴史的なコンサートを行った。この演奏は録音され、1970年に、アルバム「Band of Gypsys」として発売された。ヘンドリックスが、生前に公式に発表した、唯一のライブ・アルバムである。そこには、これまでとは違う、粘り気のあるグルーヴがあった。ビリーのベースが、深く、重く、地面を這う。バディのドラムが、ファンクの跳ねるリズムで、背中を押す。

 

 

アルバムには、バディ・マイルスが歌う曲もあり、バンドとしての共同作業の色が、色濃く出ている。ヘンドリックス一人が前面に立つのではなく、三人が、互いの音を、対等に鳴らし合う。「Who Knows」のような曲では、ヘンドリックスの歌とギターが、ファンクのグルーヴのなかで、静かに、しかし確かに、新しい方向を指し示している。エクスペリエンスの炎とは違う、もっと深く、もっと黒い、静かな熱がそこにあった。

 

 

当時、黒人コミュニティの一部からは、ヘンドリックスが、白人の若者のための音楽を演奏しているのではないか、という批判の声もあったと言われる。そのなかで彼が、黒人のミュージシャンだけで固めたバンドを組んだことは、自分のルーツを、あらためて確かめようとする行為だったのかもしれない。誰のための音楽か、という問いを、彼は、音そのもので答えようとしていた。

 

 

アルバムのなかで、もっとも衝撃的なのは、「Machine Gun」だろう。12分を超える、一つの長大なソロの旅。ヘンドリックスは、ギターで、機関銃の連射音、爆撃機の轟音、悲鳴、そして、遠くから響く、戦場の記憶を、ほとんど言葉もなく描き出す。彼は、この曲を、戦場で戦う兵士たちに捧げると語ったと伝えられる。ウッドストックの「星条旗」が、国の矛盾を映す鏡だったとすれば、「Machine Gun」は、戦争そのものの音を、生々しく突きつける叫びだった。

 

 

私は、この曲を聴くたびに、軍隊にいた若い日のヘンドリックスを思い出す。基地のクラブハウスで、ビリー・コックスと、同じ曲を弾いていた若者。ベトナムには行かなかったけれど、戦争の気配は、彼の体に、確かに染み込んでいた。その記憶が、数年後、ここで、一つの形になる。人生の、思いがけない寄り道が、音楽のなかで、遠い回収のように結びつく。そのことに、私は、いつも、深く打たれる。

 

 

けれど、バンド・オブ・ジプシーズの活動は、短かった。1970年の1月、マディソン・スクエア・ガーデンでのコンサートで、ヘンドリックスが、ステージを途中で降りてしまったという出来事が、よく語られる。そのあと、このバンドは、ほどなく解散する。新しい音楽への道は、このとき、まだ始まったばかりだった。ヘンドリックスは、おそらく、まだまだ、先へ進むつもりだったはずだ。

 

 

 

 

🌹 孤独なスター——名声の重さと仲間との別れ

 

 

名声は、ヘンドリックスにとって、祝福であると同時に、重荷でもあった。世間は、彼に、「ギターを燃やす男」「獣のように弾く黒人のワイルドなロック・スター」という像を求めた。モンタレーで見せたあの炎は、あまりにも強烈に、人々の記憶に焼きついてしまった。観客は、毎晩のように、彼がギターに火を点けることを期待した。彼自身は、そんな期待を、次第に重く感じるようになっていったと言われる。

 

 

1969年の5月には、トロントの空港で、荷物の中から薬物が見つかり、逮捕されるという出来事もあった。この件は、その後の裁判で、無罪になったとされる。けれど、この出来事は、彼の心に、少なからぬ影を落としたのではないか。成功の絶頂にいる若者が、一歩引いて、自分自身を見つめ直そうとしていた時期でもあった。

 

 

彼を支えた人々も、少しずつ、離れていった。デビューから導いてくれたチャス・チャンドラーは、1968年に、彼のもとを去った。エクスペリエンスの仲間、ノエル・レディングも、1969年の夏に去る。ミッチ・ミッチェルは、その後も、断続的に、ヘンドリックスの隣に戻ってきたけれど、バンドの形は、不安定なまま、揺れ続けた。

 

 

ヘンドリックスの周りには、いつも、多くの人がいた。ファン、友人、音楽家、マネージャー、そして、さまざまな思惑を持つ人々。けれど、そのなかに、彼の「本当の孤独」を、静かに分かち合える人が、どれだけいたのだろうか。ホテルを転々とする日々。ステージの上の轟音と、部屋に戻ったあとの静寂。その落差を、彼は、毎晩のように、味わっていたのだと思う。

 

 

そんな彼が、1970年に、一つの大きな夢を実現する。ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジに、自分のスタジオを建てたのだ。名前は、「エレクトリック・レディ・スタジオ」。かつて、「ジミー・ジェームズ&ザ・ブルー・フレイムス」として、無名のまま歌っていた街に、彼は、自分の音の城を築いた。スタジオは、1970年の夏に開かれた。自分のペースで、自分の音を探せる場所。誰にも急かされず、誰にも縛られず、音を、一つずつ、積み上げていける場所。それは、彼が、ずっと夢見ていた「部屋」だったのかもしれない。

 

 

少年の頃、薄い壁の向こうに聞こえないよう、小さな音量で弾いていた部屋。そこから、ずいぶん遠くまで来て、彼は、ようやく、「自分の音を、自分の部屋で鳴らせる」場所を手に入れた。ところが、その部屋で、彼が過ごすことのできた時間は、あまりにも、短かった。

 

 

 

 

🕊️ 1970年9月18日——27歳の旅立ちと、遺された音楽

 

 

1970年の夏、ヘンドリックスは、最後のツアーに出ていた。8月30日には、イギリスのワイト島フェスティバルに出演した。ロンドンで見出された青年が、国の南の島で、数十万の観客の前に立つ。その演奏は、のちに、アルバム「Isle of Wight」などとして記録され、彼の最後期の姿を伝える貴重な記録となった。

 

 

9月6日には、ドイツのフェーマルン島のフェスティバルに出演した。それが、彼の最後の大きなコンサートの一つになったと言われる。9月16日には、ロンドンのクラブで、旧知のミュージシャンたちと、飛び入りでジャムを楽しんだ。公の場で彼が演奏した、最後の機会だったと伝えられる。

 

 

1970年9月18日、ロンドン。ジミ・ヘンドリックスは、ホテルの一室で、意識を失った状態で発見され、病院に運ばれたが、そのまま亡くなった。27歳だった。死因は、睡眠薬の影響による、吐物の吸引での窒息とされる。検視では、「開放評決」、つまり、事故とも自殺とも断定しない判断が下された。彼の死の真相をめぐって、さまざまな憶測が語られてきたけれど、確かなことは、天才が、あまりにも早く、あまりにも静かに、この世を去ったという事実だけだ。

 

 

ロンドンで見出されてから、わずか4年。母を失った少年が、5ドルのギターで始めた旅は、27年という、あまりにも短い時間で終わった。ただ、その間に残された音は、すでに、一つの時代を超えていた。

 

 

彼は、亡くなる前、ジャズの巨人マイルス・デイヴィスや、編曲家のギル・エヴァンスとの共演を構想していたと言われる。ブルースとロックの先へ、ジャズの語法へ。彼の耳は、まだまだ、新しい場所を探していた。実現していれば、どんな音楽が生まれていたのだろう。想像するだけで、胸が熱くなると同時に、深い喪失感を覚える。

 

 

死後、彼の未完成の音源は、次々と世に出た。1971年の「The Cry of Love」には、母を想って書かれた「Angel」が収められている。1997年の「First Rays of the New Rising Sun」は、彼が構想していた次のアルバムの姿を、残された録音から再現しようとした試みだ。「新しい太陽の最初の光」。この題名には、彼が、これから向かおうとしていた場所の気配が、はっきりと感じられる。彼は、まだ、夜明けの前にいたのだ。

 

 

ロック・ミュージシャンの若い死は、1969年のブライアン・ジョーンズ、1970年のジャニス・ジョプリン、1971年のジム・モリソンと、続いていく。「27クラブ」という言葉は、その偶然を、のちの人々が名づけたものだ。けれど、私は、ヘンドリックスを、「伝説の一員」としてだけ語りたくはない。彼は、27歳で、すでに、ロックの歴史の「基準」を書き換えた。そして、まだ、描き足りない音が、無数に残っていた。そのことを思うと、胸が詰まる。

 

 

ローリング・ストーン誌は、のちに、ヘンドリックスを、史上最も偉大なギタリストの第1位に選んだ。けれど、順位は、彼の本質を、ほとんど語らない。シアトルの貧しい部屋で、小さな音量で弾き続けていた少年が、数年で、世界中の若者の心を揺らし、そして、誰よりも早く、この世を去った。その物語の重さを、私は、順位や賞では、測れないと思う。

 

 

あなたが最初に聴いたヘンドリックスの曲は、何でしたか。そのときの、あの音の衝撃は、いまも、体のどこかに残っていますか。

 

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ロンドンで始まったエクスペリエンスの旅は、モンタレーの炎、スタジオの魔術、ウッドストックの朝を経て、バンド・オブ・ジプシーズの新しい挑戦へ、そして、1970年9月18日へと、あまりにも速く駆け抜けた。炎のような音の奥には、いつも、置き去りにされた少年の、静かな祈りがあった。

 

 

彼が遺した音は、その後の無数のギタリストたちの手に渡り、新しい形に変わりながら、鳴り続けている。次の第3章では、ヘンドリックスが後世のギタリストたちに遺した、その遺産を辿っていく。——第3章へ。🎸

 

 

 

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